1990年代の『インターネット黎明期』とは何だったのか

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「かつてインターネット上には、広告が存在しなかった」
といったら、今の若い人は驚くと思います。

世紀末の1999年頃までは、インターネットが一般的ではありませんでした。
ADSLが普及しだしたのが1999年頃で、2001年にヤフーBBが赤い紙袋を配って回ったのを覚えている人もいるはずです。

それまでは一部のマニアが「ダイヤルアップ接続」といって、電話回線を専有して通信していました。ブラウジングも、今ような「ロボット型検索エンジン」が一般的ではなく、初期のYahoo!のような「ディレクトリ型検索エンジン」で目的のカテゴリから、登録されているサイトを巡回する形が一般的でした。

ケータイのimodeがサービス開始したのが1999年で、同じように「ディレクトリ型」で登録されたサイトしか見ることができませんでした。着メロや有名人の待ち受け画面などを月額300円程度で購入した時代です。16和音や32和音の着メロを自作する人もいて、「うたぼん」など楽譜雑誌がありました。そのため、パソコンサイトと携帯サイトでは連動していない別世界でした。

今では考えられませんが、料金従量制のため接続して目的のサイトを開いたら、回線を切るようなことまでありました。1997年頃にはISDNの使い放題が出始めて、自由にインターネットが使い放題になります。(それまでもテレホーダイなどありました)
ただし、通信速度が64kbps〜128kbpsと現在の数千分の1の遅さで、画像VGAサイズ(横640×縦480ドット)を表示するのに数分かかることもありました。
「モーニング娘。」の画像1枚開くのに何分も待ったような時代です。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t1121310853

Twitterで「インターネット老人会」などと称してPCカードやExpressCardが出てきたりしますが、当時は有線が基本で、写真のようなPCカードからモデムに接続しました。ノートパソコンのポート規格がUSB1.0に統一されるのはまだ先で、SCSIインターフェイスや、Smart Mediaアダプター、コンパクトフラッシュアダプターなど種類が多数ありました。

1999年頃にADSLが普及しだすと急速に利用者が増えていきます。

ADSL以前にも一部のザウルスでは、メール受信やブラウジングなど先進的なテクノロジーを搭載していました。話が脱線しますが、現代のiPhoneの原型となるものは、シャープなど日本が作り出していたもPDA(Personal Digital Assistant)です。フルカラー液晶、タッチ弁、インターネット接続、スケジュール管理など、アメリカの製品と比べても遥かに日本の方が進んでいました。

1990年代後半はネットで何をしていた?

さて、1990年代後半のネットを振り返ってみます。

プロバイダで割り当てられたアドレスで、メーラーは「Outlook Express」。
「まぐまぐ」のメールマガジンに登録して、「窓の社」や「Vector!」で無料ゲームを探すのがトレンドディとされていました。

当時は音楽配布が少ない時代で、一部のマニアがCDをリッピングしてmp3変換していました。
無料インディーズ音楽配信muzieや、ヤマハ系で同人音楽MIDI配布サイトで音楽を聞く人が多かった気がします。例えば、となりのトトロのBGMなどを、耳コピや譜面打ちでアレンジして、個人がMIDI形式で聞けるように公開していて、「RealPlayer」などで聴いた気がします。

有名な「おもしろFLASH」の文化はGoogleの登場した1999~2000年頃には普及していて、学校で見ている人も出ていたほどです。ハウスミュージック風にしたムネヲハウスなんかも話題になりました。

http://maji-merutomo.com/

明確な時系列を覚えていないのですが、 上記のスクリーンショットのような「メルトモ募集掲示板」というのが大量に存在しました。
初めのうちは雑多な色々な世代の人が一覧で投稿していましたが、 だんだんと使用者が増えるにつれ細分化されていき、 地域や年齢、趣味など多岐にわたって大量の掲示板が作成されます。

今では信じられませんが、直接メールアドレスをそこに記載して、名前はハンドルネームのようなものと簡単なプロフィールを登録する形式だったような気がします。私は当時10代前半だったので全く利用していませんでしたが、盛り上がりはすごかったです。

利用していない理由は何のことはない「10代前半」というカテゴリーが存在せず、大抵のサイトが「20代〜」だったからです。

その代わり、このようなチャットサイトが当時はとても流行していました。
今では犯罪被害など危険で禁止されていますが、当時は「小学生ルーム」や「中学生ルーム」など10代も気軽にしゃべれるような場所が数多くありました。

初期のチャットサイトは、リロードボタンを手動で押さなければなりませんが、だんだんと進化していき、自動更新したり、文字サイズを変更したり、文字をカラフルにしたり、いろいろな機能が追加されていきました。
ヤフーチャットなんかは、文章で会話しながら一部の人がボイス機能を使ってお喋りするので、現在のTwitterのスペースのような機能を果たしていました。

個人ホームページの時代の黎明期から終焉まで

時はまさに個人ホームページ時代が訪れようとしていました。
現在35歳から45歳くらいの人の中には、初期のHTMLが使える人が一定数存在します。<frame><center><font>など、今となってはロストテクノロジーですが、プラモデル感覚で個人サイトを作って楽しむ人が多かったです。

「infoseek isweb」や「Yahoo!ジオシティーズ」「フリーティケットシアター」など、たった3~5MB程度の小さな容量を割り当てでしたが、 当時は現在のように高画質の写真や動画が存在しなかったので、普通の人には全然十分なほどでした。

GIF形式で可愛い素材をデコレーションすることがとても一般化しました。
「素材サイト」で可愛いフリー素材を探して、お礼のリンクバナーを貼りながら、自分のサイトに流用する。こうした個人サイトが雨後の筍のように乱立しました。

https://web.archive.org/web/20040901012646fw_/http://www.music-flash.com/rank.cgi?mode=rev&kt=022_020

それだけでは飽たらず、JavaScriptで文字が流れるようにしたり、サイトに入るとMIDIが再生されて、オリジナルのミュージックを聴かせることも可能でした。うろ覚えですが、2000〜2004年頃がピークだった気がします。

後半になるにつれ装飾が激しくなり、 中にはオリジナルのCGIを設置して、 掲示板やアクセスカウンター、メールフォームなど、 企業顔負けのようなサイトを作る人も多数出てきました。
無料CGIを活用して複雑なコーディングを行う人も出てきたほどです。

この頃、2chはアンダーグラウンドなサイトとされて、「sage進行」「半年ROMれ」「お礼は三行」「香具師」など初見に厳しい独自ルールがありました。この頃のインターネットを知っている人は、

・インターネット上では、本名や住んでいる場所を絶対に教えない。
・インターネット上には、自分の顔写真や家族の写真など絶対に公開しない。
・インターネット上で知り合った人とオフラインで出会わない。

このような最低限のルールを覚えることになります。後に、実名公開が前提のmixiやFacebookが出た時には、こうした人たちは衝撃を覚えることとなりました。
ネットアイドルTERUMIや、ぼっさんのように一度写真を公開すると、フリー素材のようにして個人情報無視の乱雑に扱われるひどい時代でした。

URLには罠も多く「ブラウザクラッシャー(ブラクラ)」といって無限に最大画面が出るような悪意のあるサイトもありました。

また当時はP2P全盛期で、違法ファイル交換が普及していて、WinMXやWinnyを使う人も多かったです。2004〜2005年には「仁義なきキンタマ」という、自分の所有しているプライベートなファイルを自動アップロードするようなウイルスも流行りました。後に原田ウイルスやイカタコウイルスなども流行します。

個人サイトの人気に陰りが

このまま何十年もこのブームが続くかのように感じていたのですが、 わずか3年ほどで陰りが見え始めてきます。バナー交換やリンクなどで友人のサイトを貼り付けて行き来できたりするのですが、ひとまとめにしたサイトが人気が出てきます。

特に「前略プロフィール」「魔法のiらんど」のようなHTMLが不要なサイトも人気が出てきます。
メールアドレスだけで会員登録をすると、 既に自分のサイトが簡単に持つことができて、 あとはちょっとした設定だけで公開することが可能です。
全くタグを知らない人も利用できたので、 特に若い人や学生が仲間内で利用しだします。

それまでのインターネットは個人情報を出すことが悪いこととされて、全員が匿名のようにして公開していました。一部の研究者や名のある人は実名で利用していましたが、一般人はほぼ全員がアノニマスとしてホームページを管理していました。

ところがこの「前略プロフィール」や「魔法のiらんど」世代になると、10代前半の若い子たちもどんどん利用してくるので、匿名の利用ではなく現代のSNSのように変化していきます。
世界初のカメラ付き携帯が発表されたのが1999年、普及しだしたのが2002~2004年頃で、自分の顔写真を載せたり、実名を公開したり、友達の名前を出したりする人も少しずつ増えてきました。

また、「ザ掲示板 BBS(通称ザビビ)」、「ヤフーチャット」、「何でもオリジナルランキング」など2ch以外のコミュニケーションサイトも増えていきます。

個人サイトの喪失

みなさんもご存知の2019年に「Yahoo!ジオシティーズ」が終了して、数多くの個人サイトが消滅してしまいました。

当時は2000年前後、第二次世界大戦、太平洋戦争終結から55年しか経過していません。戦争に出兵に行った20代であれば、 75歳から80歳程度でした。
確か「トラ爺」というおじいさんが、高齢でありながら自分が戦争に行った記憶を個人サイトで公開していました。小学校では戦争の授業をするのですが、 何人もの人たちが「編集」をして「校正」をした教科書の戦争記録と異なり、 実際に鉄砲を持って出兵した本人が公開しているサイトでは、情報の濃さが全く異なりました。初めて人をあやめてしまった時、どれだけ罪悪感で手が震えたかなど、 当時のわずかしか残っていない写真とともに公開していました。今、消えてしまったことが残念な限りです。

同じように、退職後の趣味でサイトを作っていたような人たちがたくさんいたのですが、 今となっては100歳を過ぎているような人たちですので、やはりそうしたサービス終了とともに大量に消えていってしまいました。

今でもインターネットアーカイブを利用すれば発掘できるとは思うのですが、 当時のように簡単に検索して表示されるような状態ではなくなってしまいました。

mixiやFacebookなどSNSの台頭

HTMLやサーバーをレンタルするような複雑な個人サイトは、若い人たちには受け入れられにくいものと変化していき、今度は「web 2.0」と謳われるようになり、個人が企業のサイトで発信する時代が訪れました。
2004年に「GREE」や「mixi」、「Facebook(英語)」、2006年に「Twitter」「モバゲー」が開始します。「ヤフーチャット」も「ヤフーメッセンジャー」になり、「Windows メッセンジャー 」など、個人間の連絡も、こうしたツールを利用するようになります。当時のFacebookはすべてが英語になっていて、日本人のユーザーも英語で投稿していました。今でいう、かなり意識高い人ばかり集まっていて、 日本人同士も英語を使って会話をするような行為が一般的でした。

屋外インターネットも少しずつ普及し始めます。AIR-EDGE(エアーエッジ)のPCカードをノートパソコンに刺すことで、屋外でもインターネットに接続できるようになります。ソニーのバイオやレッツノートなど、片手で持てるほどの小さいパソコンが普及し始めて、それらを屋外に持ち出してインターネットをするのがトレンディーな時代になります。

https://skype.week-navi.net/4.2manual/01syosinsya/07syokisettei.html

2006年頃からは「Skype」の全盛期で、若い人たちは特に、友人同士の連絡に利用することが多かったです。ゲームをしながら配信するようになり、現在で言うDiscordのような存在でした。
Skypeと掲示板を組み合わせた出会い系の掲示板も多く、 全く見知らない人と通話をして出会うような文化も出始めてきます。

当時は現在のようにLINEが存在しないので、熱心なネットユーザーの8〜9割程度は入れていたのではないでしょうか。いよいよMDプレイヤーがMP3プレイヤーにとって変わられ、一般人でも使うようになります。「携帯動画変換君」や「午後のこ〜だ〜」などがマニアに利用されます。
mp3で飽き足りないマニアは、Foobar2000をインスコして、FLAC+CUEなど非圧縮音源を使うようにもなります。

同時期に、携帯モバイル端末の「ウィルコム W-ZERO3」がヒットします。とは言っても一部のマニアですが、私は当時、静岡から秋葉原まで購入しに行きました。この頃から、どこにいても常時、自由にインターネットに接続できるようになりました。

2008年のソフトバンク「iPhone 3G発売」以降は、皆さんご存知かと思います。

1990年代の『インターネット黎明期』とは何だったのか

「一度インターネット上に公開されたら、未来永劫、生涯残り続ける」

昔、インターネット上ではこのような風潮が強かったです。良いことも悪いことも、素晴らしい作品も酷い作品も。何もかもが、ネット上に公開されたら永遠に残り続けるとされていました。

ところが四半世紀経過した今、当時のインターネットは全く面影もありません。1990年代の個人サイトの99%は消滅して、SNSを中心にしたコミュニケーションが主流になっています。企業サイトも、高度に商用化されて、今ではテキストベースではなくTikTokやInstagramのような画像や動画ベースのサイトが人気です。

ふと、1996年頃にWindows95で遊んだRPGゲームの名前を検索したのですが、当時のゲームの記憶はほとんど出てきませんでした。あれほどあった「Windows95フリーゲーム」を紹介するサイトも 壊滅的な状態で、わずか数件だけ紹介してくれるサイトが残っているだけです。すべてが風前の灯火です。

インターネットが完全に普及した今、振り返ってみると、 代謝の速度が凄まじいです。

「未来永劫ネット上の黒歴史が残される」と言われていたのですが、 実際には5年から10年保持されただけで、 サービスの終了や検索エンジン、アルゴリズムの変更などによって、 黒歴史が残る人はごく一部だけに限られています。
サービス継続が長いX(ツイッター)でさえも、 10年以上前の話題を検索しようとなると、 うまく出てこないことがあります。

今思えばネット上の情報というのは想像以上に 短い運命なんだなぁと感じてしまいます。

ベッドでゴロゴロしながらTikTokを開くと、突然「Bad Apple!!」が流れて来て、懐かしさに泣きそうになりました。調べてみると2009年ですでに15年前の曲となってしまいました。

本、小説、雑誌のように印刷されたものであれば、 何十年後かに発掘される可能性はありますが、 インターネット上の文化というのは、 誰かがアーカイブしておいたり、 個人的に保存しておかない限り、 どんどん消えてしまうのかもしれませんね。
実際に1990年代の日本のインターネット事情を少し調べてみたのですが、 意外にも当時の様子を語っている人が少なくて驚いてしまいました。

私は1989年生まれなので、当時のことを明確には覚えていないのですが、小学生〜中学生のときに見たインターネット事情を思い出せる範囲で紹介してみました。

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