ステファノ・ベーメルが最高峰の靴になるまで
マンニーナやペローニなどの優れた職人や工房に始まり、リヴェラーノ・リヴェラーノやジャンニ・セミナーラのような芸術的な服を仕立てるサルトリア、そしてサルヴァトーレ・フェラガモのような世界的なブランドを生み出すイタリアの古都フィレンツェ。
まるでそこには何かクラフトマンシップとクリエイティビティの魔法が掛かっているかのように、フィレンツェでは次々と新しい感性が生まれ、最上級の伝統が継承されています。
その中でもまた違った色を持つ職人が1人います。
真摯な靴作りで世界中の人々を魅了し、最高級革靴の世界に明るい光を投じたStefano Bemer ステファノ・ベーメルです。
1988年にスミズーラ靴の工房として店を開いたステファノ・ベーメル。10代の頃から靴の修理を請け負っていましたが、その腕の良さにステファノ・ベーメルのオリジナルの靴を求める声が多くなったこともあり、自ら注文靴を学んで23歳で創業。
一つ一つに誠実さと熱意のこもったステファノベーメルの靴は、絶対に妥協がなく、常に「対峙」して作られた一個の作品のようなものです。
完璧主義者であるステファノ・ベーメルが時間と手間を掛けて作り上げる、それぞれがマスターピースとも言えるその靴はフィレンツェ中に、そしてイタリア中に評判となってきます。
開業後もエルゴノミクスやデザインなどを学び、常に靴作りを多角的に研究し続けたステファノベーメル。
10年経った頃には、現在日本で最もラグジュアリーなセレクトショップとして名高いTIE YOUR TIE タイユアタイのオーナーであるフランコミヌッチにその才能を見いだされ、タイユアタイのギャラリーに展示されたほどです。
そんな非凡さを発揮していたステファノ・ベーメルは1988年創業という靴の世界では比較的新参者でありながらも、イタリアを代表する最高級靴のブランドとして、世界名を轟かせるようになりました。
世界で最も愛された靴職人の話
もちろん世の中にはステファノ・ベーメルよりも高級な靴も、有名な靴もたくさん存在します。
アルティオリ、シルヴァノラッタンジのようにハンドソーン(手縫い)で世界を圧倒する一流のカルツォレリアはもちろんのこと、その自由な感性から生まれる変幻自在の靴で人々の共感を得るステファノ・ブランキーニ。安定した品質と色彩で日本でも多くの人から信頼を得ているサントーニ。
例えばその芸術的とも言えるデザインと存在感で世界中のセレブ御用達となっているベルルッティを知っている人数と比べたら、ステファノ・ベーメルを知っている人は数少ないと言えるかもしれません。
しかし一つだけ言えることがある。
それは、イタリアにも世界にもステファノ・ベーメルほどに愛された職人はそう多くいないということです。
ステファノ・ベーメルが2012年に48歳の若さで持病により亡くなったとき、あまりにも多くの人がそれを悲んだこと。その深い悲しみはまったく「一つの店と客」という関係を超えていました。
それは彼がとてつもなく多くの人々に、深く愛されていた証拠です。
多くの人がステファノ・ベーメルが亡くなったことを、1人の職人の喪失としてだけではなく、「1人の友人」を失ったこととして感じていたのです。
今でもステファノ・ベーメルのことをインターネットで検索すれば、英語、日本語、イタリア語で数多くのファンがステファノ・ベーメルとの温かい思い出を懐かしむと共に、彼の死を惜む記事が見つかります。
どうして多くの人々が、それほどまでに彼を愛したのか。そこには二つの理由があります。
一つにはステファノ・ベーメルの人間性です。彼は常に人に対して親切で、寛大な心を持っていました。
病気が悪化し、あと数ヶ月しかもたないということが分かってからも、常に優しく人々を受け入れていたと言います。
そしてもう一つはステファノ・ベーメルが、この上なく靴を愛していたことです。
「私が(彼の元での修行を終えて)工房を去ったとき、彼は私が工房を始めるのを手伝うために、彼のパターンを使うよう勧めてくれさえした」 – Norman Vilalta
これはステファノ・ベーメルのもとで働いていたスペイン人の職人の語ったエピソードです。
普通ヨーロッパでは、職人というのは徹底した個別主義です。常に顧客を取り合っている中で、弟子が独立したならば、昨日まで子弟であった関係はすぐにでもライバルになる。それを分かっているからですね。
その個別主義もあって、靴や服の職人技は継承が難しく、多くの技術が失われかけているのが現在の実情と言います。
しかしステファノ・ベーメルはひとたび心を捕われた何かに全てを注ぎ込んでしまう、熱心な少年のように靴を愛した人物です。
靴を愛し、本気で素晴らしい靴職人を目指す弟子達には、知識もノウハウも惜しむことなく与え続けた。靴を愛するからこそ、自分だけが一番の職人であろうとするのではなく、素晴らしい靴を作る職人をできるだけ多く育てたかったのですね。
実際に彼は、革靴の職人を養成するスクールを作ろうとしていたと言います。彼の生前にそのスクールが実現することはありませんでしたが、彼の元には世界中から途切れることなく人が集まり、修行をしていました。
まるで流れ星のようにフィレンツェに突如として現れ、大きな感動とインスピレーション、そして靴をどう愛すべきかという姿勢を残し、去ってしまったステファノ・ベーメル。
彼の意思は彼が亡くなった今でも、靴という形で人々を感化し続けています。
飽くなき探求が生み出した究極の造形
世界中の素晴らしい靴工房の作品を集めたハイセンスな靴のセレクトショップに行き、ため息の出るような美しい光沢を放つ革靴達に見とれていると、一つだけ妙に輝かしく、放たれたような明るさを持つ靴がある。
派手なパティーヌが施されているわけでも、特殊な形状をしているわけでもありません。
しかし何となくその靴は際立ち、どうしても気になって手に取ってみたくなる。靴を愛して止まないショップのマスターが、にっこりと微笑む。
「Stefano Bemer です」
どことなく茶目っ気があり、純粋な少年の笑顔のような楽しさが靴から伝わってくる。ステファノ・ベーメルは、そんな心の踊るような靴です。
しかしそんな雰囲気を持つステファノ・ベーメルですが、その造形は洗練の極みと言っても過言ではありません。
シンプルながらも造形の美しさを追求したそのデザインは洗練されており、同じくフィレンツェの人気サルトリアであるリヴェラーノ・リヴェラーノのジャケットのように無駄のないエレガンスを持っています。
ややロングノーズ気味のシルエットでありながらも全く嫌みを感じさせない、絶妙なライン。これ以上細くても太くても成り立たないトゥの上品なバランス感は、ステファノ・ベーメルが研究を重ねて見つけ出した黄金比です。
モデルによってトゥの形は違いますが、それでもステファノ・ベーメルの靴はどれもなんとなく同じような気品が漂うシルエットになっています。
そしてなだらかな甲の起こりと、土踏まずに沿ってわずかに絞り込まれたボディ。そこからまるで、足の横を通る空気の流れのような線を描いて一気に終わりまで伸びるトップラインは、さすがデザインまでをも自ら学び、常に自分の靴作りを改善し続けたステファノ・ベーメルの作品です。
特にこのホールカットのバランス感は、イタリアの典型的なホールカットとは趣が少し違います。むしろフランスのコルテのようになだらかな流線型と言えるかもしれません。
ステファノベーメルはイギリス靴、イタリア靴、フランス靴といった考え方を超越し、良いと思った部分は全てハイブリットし、最高の靴を目指していたと言います。
「本当に靴を愛しているのならば、国も、人種も、スタイルも関係ないよ」と世界中から修行生を受け入れたいたステファノ・ベーメルの声が聞こえてくるようです。
ソールはまるで重量感のあるエボニーのように堂々として、軽く指先で叩けば小気味の良い音を立ててくれます。
どうせ履けば削れてしまうソールを、ここまで綺麗に半カラスで仕上げる理由は何か? それはもちろん美しく、魅力的だからに他なりません。
もちろん最高級の革靴は総じてソールが美しいですが、ステファノ・ベーメルのソールには芸術の都フィレンツェのルネサンス様式のような独特の優雅さがそなわります。
ステファノ・ベーメルの靴を見るときには、その光沢を追うと造形の美しさがよく分かります。
一見では一つの面に見える靴のアッパーですが、実際には多くの面が隠れた複合的な立体です。光が当たったときに、その中に隠れていた数多くの線や面が浮かび上がります。
その外見に引き寄せられ、ステファノ・ベーメルを履く機会に恵まれた幸運の人は、その包み込まれるような履き心地に驚くでしょう。
ちょうど土踏まずの部分で自分の足がサポートされて、体重がこれまでに無いほど綺麗に分散される。立っているだけでも自分が少し軽くなったように感じるその履き心地は、ちょうど最も柔軟なレザーで作られた靴下のようです。
ステファノ・ベーメルはいかに注文靴の履き心地を体験できる既製靴を作るか、という点で努力を重ねていたと言います。
これほどスマートな外見を持ちながらも、その履き心地には寸分ほどの滞りも無く、柔らかく包まれるような体感です。
これはちょうどビスポークしたスーツ、シャツのような体感。
フィレンツェ仕立てのリヴェラーノ・リヴェラーノの既製ジャケットはスマートでダーツやいせ込みも控えめで、驚くほどシンプルな造形美を追求している。しかしの着心地は軽く、まるきり魔法のようです。この靴もまた同じような驚きがあります。
ステファノ・ベーメルの靴は注文靴の手法を最大公約数に落とし込んだ「1000人のためのビスポーク靴」と表現できるかもしれません。
それにしても、もともと注文靴の世界から靴職人になったステファノ・ベーメルが、既製靴にそこまで力を入れていたのはどうしてだろう?と考える人は少なくないでしょう。
今となっては推測することしかできませんが、これもまた一つの靴への愛情だったとしたら。
注文靴としてしか存在しない最高品質の靴をもっと多くの人に体感してもらいたい、というステファノ・ベーメルの思いが、イタリア最高峰と言われる既製靴を生み出したのかもしれません。
Farewell, Stefano Bemer.
「もしそれが素晴らしい品質で作られていたなら、靴は私たちがもっと気持ちよく歩くこと、そして生きることを助けてくれる。最上のクラフトマンシップによって、高品質な素材から作られたとき、靴は私たちを幸せにするプロダクトとなり、不可避と言われたブランドの国際化と、産業的に生産される商品から我々を守り抜いてくれる」 -Stefano Bemer
多くの場合ベーメルは天才として書かれていますが、果たして本当にそうだったのでしょうか? 彼が生まれつきの天才だったかと考えると、少し疑問が生じます。
ステファノ・ベーメルを知るある人物は「彼はまるで少年だった」と言います。
心から靴を愛し、靴に関わる人々を愛し、常に純粋に靴と向き合った彼の精神は、ただ「天才」という言葉で語りえるものではありません。
彼はむしろ少年のような探究心と、一切の妥協を許さないプライド、そして甚だ人間的な愛情を持った本物の「職人」と呼べる希有の人物だったのではないでしょうか。
ステファノ・ベーメルの靴は彼が亡くなった後も、靴を作る人や靴を履く人々を感化し続ける精神、本物の「職人」が残した遺産なのです。