封蝋のすゝめ

はじめに

白い封筒は、確かにそれ自体として美しいものに違いありません。しかし筆者のような懐古主義者には、ただ糊付けされただけの封筒は、どこか物足りなく感じられます。それはまるで、意図的なセンツァ・クラヴァッタという風でもないのに、ネクタイをせず、ワイドカラーのドレスシャツを第一ボタンまで留めて着ている人を見たときのような違和感――要するに、紳士の胸元にネクタイが欠かせないように、封筒には封蝋が不可欠なのです。

封蝋(シーリングワックス)とは、手紙に蝋で封をすること、およびそれに用いる蝋のことです。今や日本はおろかヨーロッパでも封蝋の文化は風前の灯であり、一部の好事家を除けば、日常的に手紙に封蝋を押している人は皆無に等しいでしょう。封蝋の意匠自体は生き残り、店のロゴマークなどに使われているのをしばしば目にしますが、実物の封蝋を見る機会はといえば、せいぜいシャネルの香水瓶についているのを見かけるくらいです。しかし封蝋を施すのは、多少手間が掛かるにしても、決して難しい作業ではありません。以下、シーリングワックスを用いた封緘の仕方を、簡潔かつ丁寧にお教えします。

1. 材料・道具

封蝋に必要な材料・道具は以下のとおりです。

  • シーリングワックス
  • シーリングスタンプ
  • スプーン
  • ろうそく
  • マッチ/ライター

1. 1. シーリングワックスの選び方

左からエルバン・アラジン・アブラクサスのワックス

シーリングワックスにはフレキシブルタイプとハードタイプの2種類があります。現在流通しているワックスのなかでは前者が主流です。Amazonでも販売されており、店頭で最もよく見かけるエルバンHerbinのワックス(写真左)は、« CIRE NACRÉE »と表記されている製品(パーリーワックス)を除き、すべてフレキシブルタイプです。また銀座伊東屋で取り扱いのあるアラジンAladineのワックス(写真中央)も同様にフレキシブルタイプです。この種のワックスの特徴としては、溶けやすいこと、固まっても可塑性が高く割れにくいことが挙げられます。とりわけ割れにくいという長所は、実際に手紙を送る際には極めて重要です。相手に届くまでに封蝋が割れる可能性を可能なかぎり減らしたいのであれば、フレキシブルタイプを選びましょう。すぐに溶けるため初心者にも扱いやすく、また慣れた人にとっても郵送時の不安を減らせる、便利なワックスです。

一方ハードタイプは、溶けにくいうえに割れやすく、扱いが難しいワックスです。スイスのアブラクサスAbraxas(写真右)や、イタリアのルビナートRubinatoのワックスがこのタイプです。使いづらいにもかかわらず、それでもなおこの種のワックスが販売されているのは、短所を補って余りある美しさがあるからです。とりわけ1本1000円もするアブラクサスの高級ワックスは見事な光沢を湛えており、一度これを目にすれば、フレキシブルタイプのワックスでは物足りなくなることでしょう。封蝋に慣れた方にはぜひともハードタイプに挑戦していただきたいのですが、少なくとも初めの一本に勧められるものではありません。

メーカーごとのワックスの特徴については、以下の記事をご覧ください。

1. 2. シーリングスタンプの選び方

エルバンのシーリングスタンプ

エルバンをはじめとする各社が、様々な図柄のシーリングスタンプを販売しています。かつて差出人の証明を兼ねていたことを考えれば、自分のイニシャルを用いるのが無難でしょう。写真では、本誌の頭文字であるRを選んでみました。

1. 3. スプーンの選び方

専用スプーン(手前)と深型計量スプーン(奥)

ネット通販で探すと割高な値段で専用のスプーンが売られていますが、必ずしもそれらを購入する必要はありません。深型の小さじ計量スプーンで代用できます。作業の際にすすがつき、また蝋がこびりつくので、くれぐれもキッチンにあるものを使うのではなく、封蝋用に新しいものを用意してください。

1. 4. ろうそくの選び方

カメヤマ ティーライトティン

蝋を溶かし、かつ沸騰させない適度な火力があればどのようなものを選んでも構いませんが、一般的にはティーライトキャンドルが用いられます。筆者はカメヤマのティーライトティンTealight Tinを使っています。

2. 封蝋の押し方

2. 1. 下準備

必要なものを机上に揃えます。手紙は糊付けまで済ませておきましょう。

なお、シーリングスタンプが冷えていると、押印の際に蝋がこびりつかず、きれいにはがせます。情趣には欠けますが、あらかじめ冷蔵庫に入れて冷やしておくと良いでしょう。

2. 2. 蝋を溶かす

ろうそくに点火します。スプーンを火にかざし、温めてください。十分に温まったら、スプーンの底にシーリングワックスを押し当て、溶かしていきます。沸騰しないよう火との距離を調節しつつ、スプーンに封蝋一回分の蝋を溜めましょう。

溜める蝋の量は、スタンプの大きさを参考にしつつ、やや多めに見積もると良いでしょう。たっぷりと垂らした蝋にスタンプを押すと、スタンプの周りに豊かな畝ができ、豪華な仕上がりになります。

なお、シーリングワックスをあらかじめナイフで切り、適量をスプーンに入れ加熱する方法もあります。ただし、フレキシブルタイプならともかく、ハードタイプのワックスを切るのは難儀なので、後々ハードワックスを使ってみたい方は、スプーンにワックスを押し当てる上述の加熱方法に慣れておくことをお勧めします。

2. 3. 蝋を垂らす

十分な蝋が溜まったら、加熱を止めます。溶けたばかりの蝋は流動的で固まりにくいため、もし蝋があまりに流れやすいようであれば5-10秒ほど待ち、適度な粘度になったら封筒に蝋を垂らします。

2. 4. スタンプを押す

垂らした蝋にシーリングスタンプを押します。蝋がまだドロドロとしている場合、10秒前後待ってから押しましょう。スタンプはあまり強く押しすぎてはいけません。「押す」というよりは「乗せる」つもりで作業した方が良いでしょう。

2. 5. 完成

蝋が固まったらスタンプを取り外します。完成です。

3. 練習したい方へのアドバイス

以上のとおり、封蝋を施すのは決して難しい作業ではありません。しかしやり直しが利かないため、不安を抱かれる方もいらっしゃることでしょう。そのような方のために、クッキングシートを用いた練習法をご紹介します。お菓子を焼くときに使う、あのクッキングシートです。クッキングシートに垂らした蝋は、固まってもひっつかず、容易に回収できます。一度作成した封蝋は、紙などの不純物がついていないかぎり溶かして再利用できるため、シート上で封蝋を作るのであれば、ワックスを無駄にすることなく何度でも練習ができます。とはいえ何度も練習しなければならないほど難しい作業ではありませんので、ご心配なさらないでください。

4. 郵送するには

現代では、定形郵便は基本的に区分機という機械で仕分けされます。その機械処理の際、封蝋が割れてしまう恐れがあります。衝撃に強いフレキシブルワックスであれば、定形郵便であってもほとんどの場合無事に届くようです。ハードワックスを用いた場合、破損する可能性をゼロにするのは困難ですが、120円切手を貼り定形外郵便として送るという手があります。原則として定形外郵便は手区分されるため、順当にいけば機械に通されません。もっとも近年は定形外郵便用の区分機も導入されつつあり、加えてシーリングワックスに対する郵便局員の考え方も様々です。局員に聞いても、定形外で差し出せば手区分するという方もいれば、定形外で差し出そうが定形郵便物は定形郵便物として処理するという方もいます。定形外郵便として送る手段は、あくまで破損の確率を下げるものに過ぎないとお考え下さい。

おわりに

以上で見たとおり、封蝋を施すのは、要は溶かし、垂らし、押すだけの簡単な作業です。ここ一番の手紙にはもちろん、普段の文通に取り入れても、さほど苦にはならないことでしょう。皆様もぜひお試しください。

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