知られざるイタリア・ナポリ現地の生活④ – ナポリ時間 編

一人暮らしの教科書

こんばんは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。

Rinascimento リナシメントという名を冠し新しくなったウェブマガジンでも、ナポリやイタリアについて発信していこうと思います。

連載「知られざるイタリア・ナポリ現地の生活」第4回は「ナポリ時間」編です。

今回もカフェ・マキアートに垂らす1滴のミルク程度にゲーテ – イタリア紀行のエッセンスを取り入れて書いていきましょう。

ナポリの人生観

Carpe diem quam minimum credula postero.
明日を信じるな、その日の花を摘め

2000年以上も昔、古代ローマの詩人ホラティウスが『歌集』の中に詠んだこの詩はつとに有名である。

今日あるものが明日あるものと思わず、今日できることは今日享受すること。あるいは近代に絵画などで流行したヴァニタスの先祖とも言えるこの詩は、未だイタリアで根強く人々に息づいている。

日本人の心に息づく聖徳太子の「和を以て貴しと為す」とは実に大きな違いがあるといえる。

ホライティウスの詩は2000年の歴史の中で、若干の変容を見せる。そしてイタリアが統一されて150年経った頃、イタリア人達はこの詩をこのように現代語訳したのである。「今得するなら後のことは知ったことではない」。

朝三暮四という故事成語をご存知だろう。

故事の全容はこうである。

ナポリにある日本人がいた。日本人がナポリ人のネクタイ職人に支払いをしようとして『最初は300ユーロ、仕上がった後に400ユーロにするぞ』と言うと、職人たちはみな怒った。そこで日本人が『それでは最初に400ユーロにして、仕上がったときに300ユーロにしよう』と言うと職人たちはみな喜んだ。

というわけである。

ナポリは前途多難な街である。およそ常識というものは通用せず、当然であったはずのものが次の日の朝には誤りになっている。そういう街では、今目の前にあるものだけを信じるのが必要な生き方なのである。

ホラティウスが生まれたのは古代ローマのサムニウムであった。それが今でいうナポリにほど近いカンパーニャ州にまたがる地域であったことは、偶然ではない。

そして彼は言ったのである。

愛と笑いのないところに楽しみは生まれない。愛と笑いの中に生きよ。

ナポリの時間

ある日私はナポリ人と待ち合わせをしていた。

何もなく噴水から水だけが湧き出るムニチピオ広場に到着してから、15分以上が経過していた。待ち合わせ時間から45分が過ぎたとき、そのナポリ人が到着した。

アラブ人のルーズさを世界はアラブ時間と呼んでいる。しかしナポリ人のナポリ時間は、アラブ時間を凌駕する驚くべき不可解さの上に成り立っている。

第一に、ナポリ人たちはせっかちである。

ナポリ中央駅に降り立ち駅舎から出た途端、ひっきりなしに鳴るクラクションに観光客は卒倒するであろう。少しでも青信号の発進が遅れれば後ろからは「ワルキューレの騎行」のような壮大なクラクションが鳴り響くのである。

もしリヒャルト・ワグナーがナポリを訪れたら、あの荘厳なニーベルングの楽劇をナポリ人演奏者に任せたい、ときっと考えたことだろう。

さらに驚異的なのは、歩行者がいたりと理由があって止まっていても「ワルキューレの騎行」が止まらないことである。これを私は「ナポレターノの奇行」と呼ぶことにしている。

しかしこれほどまでのせっかちさを見せながら、彼らは一向に約束の時間に間に合うことがない。アラブ人が時間におおらかで遅れるのに対し、ナポリ人たちはせっかちな苛立ちを見せながら遅れる。

逆に言えば彼らにとって時間を守ることなど、五つのパンと二匹の魚で5000人を養うことに等しいのにも関わらず、彼らは自分が時間に間に合うものだと常に考えているのでる。

あるとき私は彼らが必ず遅れる理由を知ることになる。

まずは電車が遅れることである。明け方にぽつりぽつりと雨が降れば120分遅れも辞さないイタリア鉄道は、土日になれば正常運転でも本数が激減する。つまりナポリ中央駅から8分で着くアヴェルサに行くにも、日曜日にうっかり一本乗り遅れると、着く時間が60分以上遅れるということである。

Già dell’Apocalisse appariscono i segni – Colline
すでに黙示録の兆候が表れているぞ! – コルリーネ

またナポリは交通渋滞において、ヨーロッパのバンコクともいうべき街である。たかだか1〜2kmのウンベルト通りを抜けるのに40分以上かかることも少なくないうえ、その一方通行の多さと言ったら、まるで人生そのものである。

しかしそうしたことも、ナポリでは特別気にする必要はない。ナポリでは「思ったよりうまくいく」ということが絶対にありえないのである。本人も、家族も、友人も、犬も、待ち合わせの相手も、全員がそれを海より深く理解しているのである。

そのため必要なのはコミュニケーションだけである。

家を出るときには「Arrivo.(着くよ)」とメッセージを送る。なぜなら準備をする側も平気で15分や20分遅れて家の前に出てくるからである。

途中で大渋滞にはまった場合や、電車に乗り遅れて次が40分後の場合には「5 minuti.(あと5分で着くよ)」と送る。

5 minuti Napoletani – 5ナポリ分というのは、紀元前1900年頃のバビロニアから世界的に使用されている60進法に置き換えて計算すると約50分に相当する。ちなみに2 settimani sarti – 2サルト週間というのは、だいたい2ヶ月に相当すると言われている。

かなり目的地に近づいてきたときには「Sto arrivando.(着きそうだよ)」と送る。これは自分が真剣に着きそうであることを示す言葉である。

そして到着する。もちろん、なぜかいつも必ず目的地から20mほど離れたところにいるのは、言うまでもない。

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