ダンディになりたい!
そんなふうに思う大人の男性は多いはず。
しかしダンディになりたいからといって、服や小物にこだわるのではいけません。ダンディズムはコレクションや物ではなく、考え方や生き方に現れるのです。
今回はそれについてを解説いたしましょう。
ダンディズムはオリジナリティである
ダンディズムを手に入れたいとき、もっとも大事なのは自分がオリジナルになることです。
そもそもダンディズムという言葉の祖であるボー・ブランメルは、そのカリスマ性と毒舌を以て、いわば社交界のポーカーのような存在として人気を博した人物です。
その着こなし、言動、セリフなどは全てオリジナルで、それまで誰も考えたことのないようなものでした。
現代であれば、例えばウェブサイトで他人のコンテンツを丸パクリし、言葉を変えるだけでありながら「ダンディ」を語ったりするのは、最も愚かで恥ずかしいことですね。
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まさかそんなサイトを運営している「会社」があって、ダンディを語る美容院やネットショップを運営していると知ったときには、怒りを覚えるというよりはむしろ、やるせない気持ちになりました。
19世紀にボー・ブランメルが人気者となって以来、英国では多くの人々が彼の真似をしましたが、彼らはダンディと呼ばれるどころか、見た目ばかりに気を使う中身の伴わない者として軽蔑されていました。
あげくこういった中身の伴わない人々がイタリアにかぶれたとき、彼らは「マカロニ派」と呼ばれ蔑まれましたね。
繰り返しますが、ダンディズムはオリジナリティと言っても過言ではありません。
ダンディーな男性を目指すのであれば、自分の頭で考え、自分の言葉で表現すること。そして他人の考えはいっそ嘲笑するくらいの独自性と、自分自身へのプライドを持って生きましょう。
ダンディは女性に興味を示さない
私は残念ながらダンディを目指す硬派な男というよりは、単なる着道楽ですので、まあ良しとしてもらいましょう。
しかしもしも本当にダンディを目指したい、と思う人がいるのであれば、女性には基本的に興味を示さないこと、むしろ蔑む、自分のエレガンスを邪魔するものだと考えるくらいの気持ちが必要です。
ダンディと似て異なる言葉にジェントルマンがあり、こちらは紳士を意味します。ジェントルマンは女性を大事にしてしかるべきであり、女性に興味を持つのも全く問題ありません。
しかしダンディは違います。ダンディは常にシニカル(冷笑家)でいる人のことを差しています。
ダンディになりたいなどと言い、それらしい装いをしていながら「モテる」「女性受け」などという言葉を口走っているのは、恐ろしく滑稽ですね。
本当にダンディを目指したいのであれば、少なくとも女性の視線などを気にせず自分のスタイルを突き通す程度の強さは持ちましょう。
ダンディは他人の意見を参考にしない
ダンディズムを持つ人、ダンディと呼ばれる人々に共通して言えることは、彼らには一貫したスタイルがあるということです。
身につけるもの、その色、着こなし方から始まり、言動、生き方など全てが一貫しており、その一つを見たり聞いたりするだけで「彼だ」と分かるような一貫性を持っていることが、ダンディズムなのです。
ですから、ダンディを目指す人はまず自分のスタイルを持ちましょう。
「人がこう言うから」「人がこのように書いているから」といったことを参考にしてばかりではいけませんし、人が言っていたことを、あたかも自分の考えたことかのように言葉にするのは、およそダンディのやることではありません。
現代でダンディを目指す人の中で、人をコーディネートしたり、スタイリングを行ったりする人は特に、スタイルを持つことが大事です。
例えば自分のスタイリングをしてもらいに行くと、担当のスタイリストの考えが毎回のように流行や他人の意見によって二転、三転していたりすれば、信頼に欠けるでしょう。
スタイリストが信頼されるのは、いついかなるときも「これがお洒落です」と言える軸を持っているからですね。
ダンディを目指すのなら、常に色々なことに思考を巡らし、何が自分のスタイルに合うのかを自分で決め、自分だけの一貫性を構築していきましょう。
これこそがダンディズムです。
ダンディズムはコレクションに捕われない
ダンディになろうとするとき、短絡的な人は、ダンディなアイテムなどと言って、物などにこだわってしまいがちです。しかし本物のダンディズムは、一切コレクション(物)には捕われません。
例えば先ほども紹介したダンディズムの祖であるボー・ブランメルは、着るものそのものよりもそのシルエット、シャツそのものよりもその白さにこだわります。
ちなみに彼のシャツの白さへのこだわりはかなりのもので、不潔なロンドンではなく田舎での洗濯にこだわるほどだったと言いますね。
ダンディズムを手に入れたい人は、まずはスタイルを作ることです。先ほども書いたように、身につけるものはもちろんのこと、行動や言葉、生き方全てのスタイルを作り上げることです。
するとそのスタイルによって、コレクションは必然的に「選ばれる」のです。
例えばある人が「私は時代を超えた価値のあるものだけを愛す」というスタイルに決めたならば、きっとクラシックなシルエットで10年、20年と着ていくことのできる目付きのようヴィンテージ記事のジャケットやスーツを選ぶことになるでしょう。
ダンディズムにコレクションは先行しません。コレクションが先行するのは、我々のような着道楽、道楽者たちですね。ダンディズムには必ずスタイルが先行し、その後にコレクションがついてきます。
またダンディズムを極めるなら、コレクションへの執着も捨てましょう。生き方こそが至高であり、ダンディはその生き方にこそ価値を見いだすべきだからです。
ダンディズムは自分の生き方に責任を持つ
パクリ、煽動、詐欺。人はそういったものに手をそめれば簡単にお金を稼ぎ、生きていくことができます。
しかしそれは本当に「ダンディ」な人たちがするべきことでしょうか?
いや、違いますね。ダンディは自分の生き方に必ず責任を持ちます。例えば毒舌家であったボー・ブランメルはその毒舌ゆえに没落していき、不遇の死をとげます。これを残念な晩年と捉えるのは簡単です。
ですが、本当にそうなのでしょうか。例えばボー・ブランメルがもし毒舌をひっこめ、社交界で求められた言動だけをしていたのであれば、晩年も裕福な暮らしをしていたことでしょう。
しかしそうだったときには、彼がダンディとして語られることは無かったでしょう。
彼は自分の生き方を一貫し、決して屈することのない反骨精神を持って生きていた。その結果として彼は没落していきましたが、それがなんだって言うのでしょう。彼はダンディだったのです。
自分の生き方を貫くこと。これはダンディズムへの第一歩です。
いかがでしたか?
今回は大人になれる本としては珍しく、ダンディズムについてを解説してみました。
是非参考にしてくださいね!