『ナポリを見て死ね』
ナポリは楽園だ。人はみな、われを忘れた一種の陶酔状態で暮らしている。私もやはり同様で、ほとんど自分というものが分からない。ローマにいると勉強をしたくなるが、ここではただ楽しく暮らしたくなる。そして我も忘れてしまう。『イタリア紀行』 – ゲーテ
イタリア南部の都市ナポリは、ヨーロッパの諸都市の中でもっとも強烈な異彩を放つ街の一つです。
ナポリの治安はお世辞にも良いとは言えず、同じイタリアの美しさで有名なフィレンツェ、洗練されたミラノ、堂々とした威厳と歴史のローマに比べて見所が非常に多いと言えるわけではない。
しかしヨーロッパの観光客の目と興味は常にナポリに向けられています。
そこには何とは言えぬ不思議な魅力がある。私がナポリにいたとき、宿にいた多くのヨーロッパ人観光客と話をしました。そこで私は尋ねました。
「なぜナポリに来たんだい?」
すると殆どの観光客はこう答えます。
「なんとなく」
続いて問う。
「ナポリはどうだい?」
すると皆がこう答える。
「それはね君、最高だよ」
ナポリに何があるのか?歴史的な建造物か、大人気の観光名所か。いやそれは違います。ナポリにあり、人を惹き付けているのは間違いなく、あまりにユニークで魅惑的かつ現在進行形の「文化」です。
料理、工芸、服飾、生活……。
過去の歴史や蓄積された建造物と景色だけではなく、今そこにある文化がこれほどまでに世界中の人々を惹き付けている街。こんな街がヨーロッパで他にあるでしょうか。
だからこそナポリは魅力的なのです。
今回はそんなナポリの「観光名所」では語り尽くすことのできない、本当の魅力を紹介しましょう。
イタリア人の羨むナポリの料理と食材
ナポリといえばピッツァと言われるほど、ナポリのピッツァは世界中に注目されています。
その窯を作るだけの職人がおり、その煙突を掃除するためだけの職業があるといわれるほど特異な存在であるナポリピッツァ。
もちもちとした生地に酸味の利いたトマトのソース、チーズ農家の作る新鮮なモッツァレラを使って作られるマルゲリータや、オレガノとニンニクの香りがシンプルでありながら鮮烈なマリナーラは、イタリアの他のどの都市のピッツェリアもあとは「コピーする」他にない、完成された料理です。
しかしナポリはピッツァだけではありません。パスタやその他の料理もまた、非常にレベルが高い。ナポリの美食ぶりは、イタリア中の羨望を集めていると言います。
というのもナポリは地中海に面した都市であり、食材に恵まれている。例えばパスタにしても、豆と貝のショートパスタや、魚のトマトスパゲッティなど、魚介を生かしたものが多数存在します。とろけるような脂のポルケッタや、少し酸味の利いたナポリ風サラミなど肉を使った料理も驚くほど豊富です。
ナポリの料理は総じて、新鮮な食材とシンプルな味付けによって究極の美味しさを追求しています。
例えばナポリでパスタ・ポモドーロ(トマトスパゲッティ)を頼むと、必ずと言っていいほどフレッシュトマトを半分に切ったものを使っています。そしてその味付けはオリーブオイル、塩、ガーリックにトッピングのフレッシュバジルのみ。恐ろしくシンプルですが、それがたまらなく美味しいんですね。
白身魚のカルパッチョには鮮やかな緑のルッコラが添えられますが、味付けは塩。
もはや地中海都市の定番とも言えるイワシのフリッターはナポリでも非常にレベルの高いものが食べられますが、これも新鮮なイワシがあってこそ。こちらの味付けはレモンと塩です。
このように、新鮮な食材をシンプルに食べることが一番の贅沢であると知っているのがナポリの人々。この料理を知った後は、日本で料理をするときに上手な「引き算」ができるようになるはず。
当の自分もナポリのレストランと同じようにパスタを作ってみたらあまりにも美味しく、ミックスハーブソルトも何も使わなくなってしまいました。
ナポリ湾の夕焼け
ナポリは常に海に接した都市です。ほとんどどの位置からでも歩いて海岸に出ることができるんじゃないか、と思うくらいに海に沿った街。そのおかげでまったく毎日のように、ナポリ湾の夕焼けを見ることができます。
その夕焼けの表情は一日たりとも同じになることがなく、いつも違う色合いや空気感を伴ってナポリを訪れる多くの観光客を魅了するでしょう。
人はみな、われを忘れた一種の陶酔状態で暮らしている。とゲーテは書いていますが、海岸線でナポリ湾の夕焼けを見て過ごす時間はまさに陶酔状態に他なりません。
ナポリは驚きに満ちています。
数多くの人種が同じ都市に集まり、それぞれが個別主義を貫いて生活してきたことで生まれた複雑な様式の街、カオスとも言えるような美と喧噪の対比、世界でも希有な技術を持つ職人たち。
旅行などを頻繁にし多くの国を見たことのある人は、多かれ少なかれこのようなことを思います。「どこの都市に行っても、ヨーロッパはだいたい同じかもしれない」。しかしナポリに来ると、そんな思い違いが音を立てて崩れるはずです。
「こんな場所があったのか」と誰もがそう思うでしょう。ナポリに来ると、人間は新しい場所や知らないものに対する期待を捨ててはいけないのだと言うことが分かります。
そしてそんなことを感じたあとに、ナポリの海岸に腰掛けて過ごす夕焼けの時間は、いろいろな考えや感情が次々と浮かんできて、本当に面白い。
観光名所巡りの旅行もいいですが、こんな風に過ごす時間を持つことができれば、それは本当の大人の「旅」になるはずです。
世界一のエスプレッソとカプチーノ
今では世界を席巻しつつあるエスプレッソですが、その発祥はご存知の通りイタリアにあります。
エスプレッソなんて飲まない?いえいえ、あなたが今日の朝にスターバックスで飲んだキャラメルマキアートは、スチームミルクにエスプレッソを注いだエスプレッソドリンクです。
イタリアには日本のコンビニと同じくらいの浸透率でBAR バルが存在しています。
朝エスプレッソを飲むのにも、ランチのパニーノを買うのにも、バスのチケットを買うのにも、いつでもバルです。日本のBAR バーとは違い、カフェバースタイルのコンビニエンスストア的な存在と考えた方が分かりやすいイタリアならではの存在です。
そんなバルは各店が独自のスタイルを持っており、店によってエスプレッソやドリンクのスタイルにはこだわりがあります。イタリアのバルは総じてレベルが高く、どこで飲んでも「本物のエスプレッソ&エスプレッソドリンク何たるか」を教えてくれます。
しかしその中でもナポリのバルは極めてレベルが高い。
ナポリのバルで出される、澄み渡るようなアロマと程よい酸味、濃厚なチョコレートのような舌触りのエスプレッソは世界一です。
そしてそのエスプレッソを使ったドリンクは、おそらく一流パティシエのスイーツを食べるよりも満足度の高いドリンクです。特にナポリならではの飲み物、カプチーノフレッド(アイスカプチーノ)。
シャーベット状にした甘いエスプレッソに、キンキンに冷やしたミルクを注いで作るカプチーノフレッドは、地中海の都市であるナポリだからこその飲み物。冷たい飲み物が出ない、と言われるイタリアで唯一、恐ろしく冷たいドリンクです。
しかもエスプレッソを冷凍したものを使っているので氷を使う必要がなく、非常に濃厚なのが特徴。冷たいのに濃厚なカプチーノフレッドは、一度飲んだら病み付きになること間違いありません。
ちなみに他の都市で「カプチーノフレッド」と言っても通じず、近いものは「カフェラテフレッド」と呼ばれています。これは温かいエスプレッソに冷たい牛乳を注いだ、大変ぬるい飲み物ですので要注意。
奇跡の文化、ナポリ仕立て
イタリアは英国と並んでスーツの聖地として有名です。
特に最近ではイタリアのファッションブランドが絶大な人気を誇っており、ビームスやユナイテッドアローズ、シップスといったセレクトショップはこぞってイタリアからのインポート商品を扱っています。
そのイタリアの中でも異質なのがナポリの紳士服。サルトリア(仕立て屋)による注文服の文化が根強く残るこの街ですが、世界で他のどの都市の職人も持ち合わせていない特殊な技術を持ち、手縫いによるスーツ作りを行う仕立て職人が数多く存在することで、ファンには大変有名です。
そもそもイギリスのブランドが、スーツを安く製造するために手先の器用な職人の多いイタリアで製造していた。
それがイタリアでのスーツ作りの始まりですが、ナポリの職人は製造するにとどまらず、ナポリの気候に則した柔らかく軽い着心地で、力の抜けたエレガントさを持つ独自のスーツを創造してしまったのです。
今ではナポリ仕立ては「奇跡の仕立て」として扱われ、そのスーツやジャケット、シャツなどは日本で非常に高値で取引されています。
しかしナポリの職人も高齢化が進んでおり、すでに「継承不可能」と呼ばれるほどの技術を持った職人も結構なお年。
いずれは博物館に収蔵されてもおかしくないものを作っているんだ、とある職人が言っていますが、それを間近に目の当たりにするどころか、自分のための一着を仕立ててもらうことのできる我々は非常にラッキーだと言えます。
ナポリで実際にスーツを作ろうと思うと、日本に配送してくれるサルトリア(仕立て屋)だと40万円〜という値段になります。また気まぐれなイタリア人ですから、中々仕事が進まず一向に送られてこないなんてこともざらです。
そこでおすすめはシャツ。ナポリ仕立てのシャツもまた世界に注目される一品ですが、スーツよりも気軽に作ることができ、値段は3万円程度と手が出しやすいです。
ナポリのシャツは手縫いを用いた仕立てで有名です。フランスのシャルベ、イギリスのターンブル&アッサーなど一流と言われるブランドでも、シャツはあくまでミシン縫い。
しかしナポリでは袖付けや襟付けを始め、多くの部分を手縫いで作ることによって、着心地を柔らかく、また表情豊かなシャツを生み出しています。
計測に行き、3日後に仮縫い、1ヶ月で日本に配送といった具合で進めてくれます。おすすめはアンナマトッツォとピッコロ(サルヴァトーレピッコロではなく、ピッコロです)というカミチェリア。本当に興味のある人はお問い合わせいただければ、詳しくお教えできます。
その着心地の良さと上品な外見の虜になったら、もう安いシャツは着られません。
いかがでしたか?
今回はナポリの本当の魅力をお伝えするべく、ナポリの魅力をいくつか詳しく紹介してみました。
他にもナポリには多くの魅力が溢れています。
「ナポリはどうだった?」ともしあなたが私に尋ねたら、私は答えるでしょう。
「それはね君、最高だったよ」
「どうして?」
「なんとなく」
何が魅力だったのか?いまいち思い出しきれないのがナポリの不思議さです。しかし全体を通して思い出そうとしているうちに、ある感情が浮かび上がってきます。
ああ今すぐにでも、もう一度ナポリに行きたい。
残念ながら一度でもナポリに行った人間はもうその感動を忘れることができず、「われを忘れた一種の陶酔状態」から抜け出すことが出来ないのです。