ORIALI オリアーリ
日本人は実は世界でも有数の、お洒落とハイクオリティに高感度な国民です。
ナポリの数々のハンドメイドシャツ、イタリアでも一部のハイセンスなセレクトショップしか扱わないような高品質なジャケット、ピティウォモのバイヤー達の間で話題となり始めたばかりの最新ブランド。
セレクトショップのバイヤー達はいつも目を光らせて、世界中の誰よりも早く、未だ注目されておらず素晴らしいアイテムを扱おうとしています。
そしてその結果として、時にはイタリア人でさえもそれほど知らないようなマイナーで、しかも素晴らしいシャツを日本に持ち帰ってくることがある。
そう、例えばオリアーリのシャツのようにですね。
オリアーリのシャツはイタリア本国でも、日本でもそれほど有名ではありません。ダノリスやオリアンといったマシンメイドシャツが人気を博している今の時代に、ボレリやフィナモレほどの知名度もないハンドメイドシャツを欲しているクラシコファンはそこまで多くないからでしょう。
しかしこのオリアーリのシャツを知らないのなら、イタリアシャツの全てを知っているとは言えないでしょう。
今回は丸縫いの伝統工芸のようなナポリのシャツにも、ラグジュアリーの代名詞となっているフライのシャツにもない魅力を持った、フィレンツェの実力派カミチェリア、オリアーリのシャツを紹介します。
フィレンツェの美的感覚
イタリアのシャツを語るとき、人々の注目は常にナポリに集まっています。この混沌とした奥深い都市に住む職人達は、刺繍の伝統工芸と昔ながらのシャツ作りを基調とした、手縫いによる独自のシャツ作りをしています。
そしてその手縫いという付加価値と、圧倒的な柔らかさを持つ手縫いの着心地が相まって、ナポリのシャツは世界中を魅了しているのですね。
バルバ、ボレッリ、フィナモレなど有名なシャツのほとんどが、ナポリのカミチェリアと言っても過言ではありません。
しかし数多くのナポリのシャツを体験した一部の人々の目は、フィレンツェに向いている。
スミズーラのレオナルドブジェッリを始めとして少数ながらフィレンツェ流を貫くカミチェリアが作るシャツは、フィレンツェの美的感覚に則って作られている。
そしてオリアーリが作るシャツもしかり。
曲線は強調しすぎず、しかし平坦過ぎず。ラペルのゆるやかな造形や、滑らかな放物線のようなそのしなり方は、いかにもフィレンツェ的な中庸さを持っています。その自然なシルエットはあくまで人の着心地を優先し、リラックスした着心地を実現している。洗練された手縫いはマシンメイドのように端正でありながらも、常に人間らしい温かさを忘れない。
それはブリオーニなどのミシン縫いによる完璧なさ洗練された美しさを追求したシャツとも、手縫いであることに価値を見いだすナポリのシャツとも違う、フィレンツェのシャツだけの魅力です。
それで、一部のお洒落な人達はフィレンツェのシャツに目を向けているわけですね。
フライのように精密、ピッコロのように柔らかい
オリアーリのシャツは、先ほどから書いているように、精巧でありながらも暖かみがある。例えば襟のステッチはフチのぎりぎりを精巧に縫い合わせており、まるでフライやブリオーニのシャツのようです。
特にブリオーニのシャツに関してはこういったステッチの襟のものが多く、精巧さを魅力としていますね。オリアーリは襟、カフス等のステッチを見ると、まさにそれと同様な精巧さを持っていて、これは非常に美しいですね。
しかしこのシャツは精巧なだけには収まらない。襟付けの部分を始め、シャツの至る所に見られる手縫いを見れば、まるでナポリのシャツのように、甘く縫われたステッチワークが見られます。
ナポリにはハンドメイドをうたっているシャツブランドがたくさんありますが、そのうちの全てがレベルの高い手縫いによってシャツを作っているわけではありません。
ものによってはほとんどミシン縫いのように平坦に縫われていたり、あるいは実際に手縫い風ミシンで縫っていたりもしますね。
その点、このオリアーリのシャツは手縫いの部分に関しても、非常にレベルが高い。ちょうどサルバトーレピッコロのシャツのような柔らかさを残しつつ、よりフィレンツェ的な美意識を反影させて、端正さを追求しています。
これはボタンホールや袖付け部分を見ると分かりやすいですね。
また、生地に関しても非常に良質なものを使っています。基本的にはあまり繊細すぎず、さらりとして軽やかなコットンを用いることが多いですね。このあたりは、ラグジュアリーさを追求しているキートンやブリオーニ、フライ等のシャツと違い、いちカミチェリアらしいですね。
いかがでしょう。
ナポリのシャツから、少し違う雰囲気のシャツも試してみたいと思っている方はぜひ、オリアーリのクレリックシャツを試してみてくださいね。
きっとフィレンツェの感覚にさらわれ、ナポリが全てじゃなかった、と思うことでしょう。