こんにちは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。
ついに「大人になれる本」がスタンダールをお勧めする時代がやってきましたね。なんと素晴らしいことでしょう。
実にくだらないネタを恐ろしく難解な比喩を用いて記事にして、お茶のお供にしようという程度のウェブマガジンだったのが、ついに本格的な指南書になりそうです。
そこで私も「ロシア文学、はじめの3冊」をやろうと思ったのですが、どうせ
- 罪と罰 (上)
- 罪と罰 (中)
- 罪と罰 (下)
という目新しさのない記事になるだろうと却下されました。(ちなみに私の好きな工藤精一郎の訳は上下巻なので、こうはならないのですが。)
とりあえず、罪と罰をお勧めしておきましょう。窓のない屋根裏部屋の中で見る悪夢のような1000ページを読み切り、鮮烈な光に満ちた最後の1ページにたどり着いたとき、あなたはきっと思うはずです。
「はて、それで主人公の名前は何だったかな?」
ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ、あなたですよ、老婆を殺害したのは…。
あきらめて今日はみなさんに、ナポリの服について記事を書きましょう。
改めて考える、ナポリ仕立てのスタイルとは?
今や日本はオーダースーツブームとも言える時代で、今まで二着目半額の量産スーツを着ていた人も、10万円近くするオーダーのスーツを仕立てています。
スーツはいい生地、いい仕立てのものをオーダーで。というのが常識になりつつあり、大変嬉しい限りです。
そういうことで、今ではイタリアンスタイルを打ち出し、日本の優れた工場で作るオーダースーツの店というのが非常に多くなっています。
もともと日本には有名な縫製の工場がいくつか存在し、多くのセレクトショップや百貨店が共通の工場でスーツを作っているのが実情です。
しかしパターンやオーダーの仕方が異なれば、仕上がる服は全く別物になる。そういうわけで、同じ工場で作っていても、買う店によって個性があるのです。
そんな中で、多くのショップが打ち出しているスタイルが、ナポリのスタイル。
軽快でアンコンストラクテッド、雨降らし袖でリラックスした雰囲気、そして何よりも着心地が良い。これがナポリ流のスタイルというわけです。
しかし私は専門店としてナポリの仕立て服を扱っているうちにこう思ったのです。
ナポリのスタイルなど存在しない。それはまるで、洞窟の壁にうつる影を見ているようなものなのだと。
……地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。火と人々のあいだに道があり、道に沿って低い壁が作られている。……壁に沿って、いろんな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。
プラトン『国家』第7巻
ナポリにはまるでスーパーマーケットのように多数のサルトリアが存在しています。そしてその一軒一軒にスタイルがあるのはもちろんのこと、そこで働いている職人の一人一人がスタイルを持っているのです。
そんな中でナポリ仕立てを定義するのはとても難しいのです。
ナポリ仕立ては必ずアンコンか?そんなことはありません。そもそも完璧なアンコンストラクテッドは一部にしか存在せず、他に比べて柔らかい芯地を使用したり、あるいは他より副資材が少なかったりというのが一般的です。
逆にナポリでも、当店で扱っているサルトリア・ピッチリーロのようにしっかりとした芯地を使用するサルトリアも少なくありません。これはナポリで好まれる柔らかく軽快な生地で仕立てても綺麗に立体が現れ、そして耐久性があっていつまでも美しいシルエットが崩れないからです。
あるいはナポリで有名なマニカ・カミーチャにしても、様々な仕立て方があります。ギャザーをたくさん寄せるサルトもいれば、ほとんど寄せないサルトもいるのです。
ナポリ仕立てとの付き合い方
こういう風に見ていけば、ナポリのサルトリアには一概に「こうだ」と言えるスタイルがないことがわかります。
逆に、こう言ってしまうのはどうでしょう。
マニカ・カミーチャや裾まで切ったダーツ、袖口の一つボタンなど、およそナポリでしかやらない仕様やスタイルは多数存在する。しかしナポリのサルトリアだから必ず取り入れると決まった仕様は存在しない。
何かのディテールを見て「ナポリのスタイルだなあ」と思うのはともかく、何かのディテールがないことを見て「ナポリの服らしくない!」と思うのは安直すぎるということですね。
私も何十件もサルトリアを訪れて、その違いに驚きました。
仮縫いが1分で終わってしまうサルトリアもあれば、30分以上かかるところもある。肩の仕様について聞くサルトリアも、全く何も聞かれずに雨降らし袖で仕上がってくるサルトリアもある。
また着心地が軽く柔らかいジャケットが仕上がってくることもあれば、着てなじませるような服が仕上がってくることもままあるのです。
先ほども書いたように、ナポリにはたくさんのサルトリアがあります。ということはシンプルに考えても、他よりも多様性があって当然です。
ナポリの仕立てを見るときには、その仕様やディテール、そしてスタイルを見るのも良いでしょう。しかしもっと大事なのは、サルトとコミュニケーションをとること。あるいは、そのサルトリアについてよく理解している店でオーダーをすることです。
つまり、なぜサルトがそのようなスタイルでスーツを仕立てるのか。例えばなぜそのサルトリアでは肩にはパッドを入れるのか。なぜ雨降らしで控えめにギャザーを寄せるのか。こういったことは、何か理由や信念があって行なっているはずなのです。
その意味をしっかりと教えてくれる職人、もしくは店でオーダーすれば、その服は一生物になるでしょう。ナポリ仕立てだからというより、その職人が作った服だからという理由で、その服に愛着が湧くようになったら、それが一番本物のナポレターノの感覚に近いではないでしょうか。