- 訳者まえがき
- イヴの歌 La Chanson d’Ève
- I. 楽園 Paradis
- II. 最初の言葉 Prima verba
- III. 燃えるような薔薇 Roses Ardentes
- IV. なんと神様が輝いていることでしょう Comme Dieu rayonne
- V. 白い夜明け L’aube blanche
- VI. 溌溂たる水 Eau vivante
- VII. 眠らないのですか、太陽のような私の香りよ Veilles-tu, ma senteur de soleil
- VIII. 白薔薇の香りに包まれて Dans un parfum de roses blanches
- IX. 夕暮れ Crépuscule
- X. おお死よ、星々の塵よ Ô mort, poussière d’étoiles
訳者まえがき
歌曲の困難は、詩と音楽の調和に存する。歌詞を伝えようとするあまり音楽が疎かになってはいけないが、かといって音楽性を過度に重視すれば、歌詞は無意味な添え物にすぎなくなる。歌詞と音楽が、均衡を保ちつつ、相互に補い合うような作品が、歌曲の理想である。
ガブリエル・フォーレ《イヴの歌》は、そのような理想を実現した稀有な例である。歌詞は、シャルル・ヴァン・レルベルグの手になる同名の詩集から選び抜かれた10篇の詩に基づいている。レルベルグの詩自体は、必ずしも一流とは言いがたい代物である。楽園でのイヴという甘美で素朴な主題が、構築性に欠ける自由詩の形式で描かれているために、詩句は弛緩し、まるでアカデミスム絵画のような散漫さを呈している。時代を貫く古典文学の堅固さが、この詩集には欠けている。もしフォーレにより旋律を与えられず、伴奏を施されなかったとすれば、レルベルグの詩が今に残ることはなかったろう。歌曲となり、調べと伴奏により形式を補強されたおかげで、『イヴの歌』は後世に受け継がれる作品となった。
またフォーレは、単に詩の形式面を補うにとどまらず、そこにさらなる魅力を付け加えた。レルベルグの詩が、フェデリコ・オリヴェロが言うように1)、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画に比せられるものであるとすれば、フォーレの仕事がそこにもたらしたのは、印象派画家たちが描いた、あの鮮烈な光である。無論フォーレ自身も、レルベルグやシャヴァンヌ同様、古代の静けさを好む人であった。彼がレルベルグの詩を取り上げたのは、そこに自己と通底するものを見出したからに違いない。しかしこの作曲家は、純朴かつ神話的なレルベルグの詩的世界に寄り添いつつも、鮮やかな光でこれを彩った。淡い曙光、麗らかな日差し、水面のきらめき、忍び寄る夕闇、冷たく輝く星々――彼が添えた伴奏は、刻々と移り変わる外光を、モネの連作さながらに描き分け、ありありと表現する。一方で歌はあくまで叙唱的であり、詩の本分を決して見失わない。紡がれる言葉は確かな強度を有し、音楽に呑まれることなく、豊かな観念を喚起し続ける。歌とピアノは見事に協働し、レルベルグが思い描いた光景を、まるで映画のように、鮮烈なイメージとして浮かび上がらせる。
1) Federico Olivero, Studies in Modern Poetry, London, H. Milford, 1921, p. 170.
ところで、詩と音楽の問題を考えるにあたり無視できないのが、リヒャルト・ワーグナーの存在である。19世紀後半から20世紀初頭の芸術家たちにとって、この大音楽家は憧憬の対象であるとともに、乗り越えるべき壁でもあった。フォーレはといえば、ワーグナーに対しては曖昧な態度をとっており、手放しの称賛も、露骨な嫌悪も見せはしなかった。しかし結果を見れば、フォーレはワーグナーと対照的な芸術を作り上げたといえよう。詩人マラルメがワーグナーの楽劇を嫌ったのは、彼の音楽が詩や演劇の地位を貶め、これらの芸術を専制的に支配しているからであった。フォーレにおいては、詩と音楽は等価なままに並存し、響き合い、高め合う。詩を音楽の婢とみなすことなく、両者が調和する境地を開拓したフォーレが、文学者たちから尊敬を集めたのは、もっともなことである。
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イヴの歌 La Chanson d’Ève
I. 楽園 Paradis
C’est le premier matin du monde,
Comme une fleur confuse exhalée de la nuit,
Au souffle nouveau qui se lève des ondes,
Un jardin bleu s’épanouit.
世界が初めて朝を迎えたときのこと。
ぼんやりとした花が夜闇からふっと現れ出るかのように、
海から吹いた初めての風とともに、
青い園が花開いた。
Tout s’y confond encore et tout s’y mêle,
Frissons de feuilles, chants d’oiseaux,
Glissements d’ailes,
Sources qui sourdent, voix des airs, voix des eaux,
Murmure immense ;
Et qui pourtant est du silence.
そこではまだ何もかもが混ざり合い、溶け合っていた。
草木の葉音も、鳥の鳴き声も、
翼が空を切る音も、
湧き出る泉も、風の音も、水のせせらぎも、
広漠たるざわめきにすぎなかった。
だがそれはまた静寂でもあった。
Ouvrant à la clarté ses doux et vagues yeux,
La jeune et divine Ève
S’est éveillée de Dieu,
Et le monde à ses pieds s’étends comme un beau rêve.
明るい光に、その優しげでうつろな目を開くや、
若く神々しいイヴは
神に目覚めさせられた。
足元に広がる世界は、まるで美しい夢のようだった。
Or, Dieu lui dit : “Va, fille humaine,
Et donne à tous les êtres
Que j’ai créés, une parole de tes lèvres,
Un son pour les connaître.”
さて神は彼女に言った。「行け、人間の娘よ、
私が創った全ての存在に
汝の唇が紡ぐ言葉を与えよ。
その音により、汝はそれらの存在を識るだろう。」
Et Ève s’en alla, docile à son seigneur,
En son bosquet de roses,
Donnant à toutes choses
Une parole, un son de ses lèvres de fleur :
それを聞いたイヴは、主に命じられるがままに出かけ、
薔薇の植え込みのごときその口で、
ありとあらゆるものに
言葉を、花の唇が立てる音を与えていった。
Chose qui fuit, chose qui souffle, chose que vole…
逃げ去るもの、ささやくもの、飛ぶもの……
Cependant le jour passe, et vague, comme à l’aube,
Au crépuscule, peu à peu,
L’Éden s’endort et se dérobe
Dans le silence d’un songe bleu.
そうしている間に日が暮れ、夜明けのように薄暗くなり、
夕暮れに差し掛かり、次第に
エデンの園はまどろみに浸りゆき、
青い夢の静寂へと消えていった。
La voix s’est tue, mais tout l’écoute encore,
Tout demeure en l’attente,
Lorsqu’avec le lever de l’étoile du soir,
Ève chante.
物音は絶えたが、万物がまだ耳をすましていた。
万物が待ちわびていた。
一番星が昇るころ、
イヴは歌いだした。
II. 最初の言葉 Prima verba
Comme elle chante
Dans ma voix
L’âme longtemps murmurante
Des fontaines et des bois !
なんという歌いぶりでしょう、
私の声の中で
長らくささやくのみだった
泉や林の魂が歌うさまは!
Air limpide du paradis,
Avec tes grappes de rubis,
Avec tes gerbes du lumière,
Avec tes roses et tes fruits,
澄みわたる楽園の空気よ、
紅玉のようなあなたの葡萄、
あなたの光の麦束、
あなたの薔薇と果実、
Quelle merveille en nous à cette heure !
Des paroles depuis des âges endormies,
En des sons, en des fleurs
Sur mes lèvres enfin prennent vie.
なんという驚異が今私たちに起こっていることでしょう!
はるか昔から眠りこけていた言葉が、
音となり、花となり、
私の唇で遂によみがえる。
Depuis que mon souffle a dit leur chanson,
Depuis que ma voix les a créés,
Quel silence heureux et profond
Naît de leurs âmes allégées !
私の吐息があれらの歌を語って以来、
私の声があれらの歌を作って以来、
なんという幸せで底知れない静けさが、
あれらの事物の安堵した魂から生まれてくることでしょう!
III. 燃えるような薔薇 Roses Ardentes
Roses ardentes
Dans l’immobile nuit,
C’est en vous que je chante
Et que je suis.
不動の夜に咲く
燃えるような薔薇よ、
あなたたちの中で、私は歌います。
あなたたちの中に私はいます。
En vous, étincelles
À la cime des bois,
Que je suis éternelle
Et que je vois.
枝々の先に輝く
あなたたちの中で、
私は永遠となります。
あなたたちの中で私は見ています。
Ô mer profonde,
C’est en toi que mon sang
Renaît vague blonde,
En flot dansant.
おお深い海よ、
あなたたちの中で、私の血は
金色の波となり、
踊る波となりよみがえります。
Et c’est en toi, force suprême,
Soleil radieux,
Que mon âme elle-même
Atteint son dieu !
そして崇高なる力、
光り輝く太陽よ、あなたの中で
私のこの魂は
おのれの神に出会います!
IV. なんと神様が輝いていることでしょう Comme Dieu rayonne
Comme Dieu rayonne aujourd’hui,
Comme il exulte, comme il fleurit
Parmi ces roses et ces fruits !
今日はなんと神様が輝いていることでしょう。
神様はなんと喜び、この薔薇と果実に
囲まれ、花開いていることでしょう!
Comme il murmure en cette fontaine !
Ah ! comme il chante en ces oiseaux…
Qu’elle est suave son haleine
Dans l’odorant printemps nouveau !
なんと神様はこの泉の中でささやいていることでしょう!
ああ! なんと神様はあの鳥たちの中で朗々と歌っていることでしょう……
神様の息吹はなんと心地よいことでしょう、
香り豊かな初めての春に吹くその息吹は!
Comme il se baigne dans la lumière
Avec amour, mon jeune dieu !
Toutes les choses de la terre
Sont ses vêtements radieux.
神様が光を浴びるさまは、
なんと愛に溢れていることでしょう、私の若い神様!
この地上のあらゆるものは、
神様の光り輝く衣装なのです。
V. 白い夜明け L’aube blanche
L’aube blanche dit à mon rêve :
Éveille-toi, le soleil luit.
Mon âme écoute et je soulève
Un peu mes paupières vers lui.
白い夜明けが私の夢にこう言います。
「目覚めよ、太陽は輝いている。」
私の魂は耳を澄ませています。そして私は
まぶたをかすかに彼の方へと開きます。
Un rayon de lumière touche
La pâle fleur de mes yeux bleus ;
Une flamme éveille ma bouche,
Un souffle éveille mes cheveux.
すると光が、青白い花のごとき
私の青い眼に触れます。
炎が私を目覚めさせ、
吐息が私の髪を目覚めさせます。
Et mon âme, comme une rose
Tremblante, lente, tout le jour,
S’éveille à la beauté des choses,
Comme mon âme à leur amour.
そして、ゆっくりと一日中
揺れている薔薇のような私の魂は、
事物の美に目覚めます、
まるで私の魂が彼らの愛に目覚めるかのように。
VI. 溌溂たる水 Eau vivante
Que tu es simple et claire,
Eau vivante,
Qui, du sein de la terre,
Jaillis en ces bassins et chantes !
なんとあなたは純朴で透明なのでしょう、
溌溂たる水よ、
大地の奥から
湧き出て池となり歌う水よ!
Ô fontaine divine et pure,
Les plantes aspirent
Ta liquide clarté ;
La biche et la colombe en toi se désaltèrent.
おお神々しく純粋な泉よ、
草木はあなたの
流れる透明を吸い上げます。
雌鹿や鳩は、あなたのもとで渇きを癒します。
Et tu descends par des pentes douces
De fleurs et de mousses,
Vers l’océan originel,
Toi qui passes et vas, sans cesse, et jamais lasse
De la terre à la mer et de la mer au ciel.
そしてあなたは、花と苔に覆われた
緩やかな傾斜を下り、
故郷の海へと
倦まず弛まず進みゆき、
大地から海へ、海から空へと駆けめぐります。
VII. 眠らないのですか、太陽のような私の香りよ Veilles-tu, ma senteur de soleil
Veilles-tu, ma senteur de soleil,
Mon arôme d’abeilles blondes,
Flottes-tu sur le monde,
Mon doux parfum de miel ?
眠らないのですか、太陽のような私の香りよ、
金色の蜜蜂のような私の香りよ、
あなたはこの地上を漂い広がってゆくのでしょうか、
蜂蜜のような私の甘い香りよ。
La nuit, lorsque mes pas
Dans le silence rôdent,
M’annonces-tu, senteur de mes lilas,
Et de mes roses chaudes ?
夜中、私の足が
静寂の中をさまようとき、
あなたは先回りしているのでしょうか、私のリラの香りよ、
私の熱い薔薇の香りよ。
Suis-je comme une grappe de fruits
Cachés dans les feuilles,
Et que rien ne décèle,
Mais qu’on odore dans la nuit ?
私は、葉叢に隠れた
一房の葡萄のようなものなのでしょうか、
誰にも見つからないけれど、
夜に香りを漂わせる、葡萄のような。
Sait-il à cette heure,
Que j’entr’ouvre ma chevelure,
Et qu’elle respire ?
Le sent-il sur la terre ?
あのひとは知っているでしょうか、この時間、
私が解きかけた髪が
息づいていることを。
その息づかいを地上で感じているでしょうか。
Sent-il que j’étends les bras
Et que des lys de mes vallées,
Ma voix qu’il n’entend pas
Est embaumée ?
あのひとは感じているでしょうか、私が腕を広げていて、
私の谷間の百合から
あのひとが聞いたことのない私の声が
かぐわしく香っていることを。
VIII. 白薔薇の香りに包まれて Dans un parfum de roses blanches
Dans un parfum de roses blanches,
Elle est assise et songe ;
Et l’ombre est belle comme s’il s’y mirait un ange…
白薔薇の香りに包まれて、
腰を下ろした彼女は物思いにふける。
夕闇は美しく、まるで天使の鏡のよう……
L’ombre descend, le bosquet dort ;
Entre les feuilles et les branches,
Sur le paradis bleu s’ouvre un paradis d’or ;
夕闇が下り、木立が眠りにつく。
枝葉の隙間に、
青い楽園の上に、金色の楽園が開ける。
Une voix qui chantait, tout à l’heure, murmure…
Un murmure s’exhale en haleine, et s’éteint.
先刻まで歌っていた声が、今つぶやく……
つぶやきは吐息となり漏れ出て、やがて消える。
Dans le silence il tombe des pétales…
静寂のなか、花びらが散る……
IX. 夕暮れ Crépuscule
Ce soir, à travers le bonheur,
Qui donc soupire, qu’est-ce qui pleure ?
Qu’est-ce qui vient palpiter sur mon coeur,
Comme un oiseu blessé ?
今晩、幸福の向こうで
ため息をついているのは一体誰なのでしょうか、何が泣いているのでしょうか。
何が、傷を負った鳥のように、
私の心臓の上にやってきて、動悸を打つのでしょうか。
Est-ce une voix future,
Une voix du passé ?
J’écoute, jusqu’à la souffrance,
Ce son dans le silence.
未来の声なのですか、
過去の声なのですか。
私は、苦しいほどに、
静寂に響くこの音に耳をそばだてています。
Île d’oubli, ô Paradis !
Quel cri déchire, dans la nuit,
Ta voix qui me berce ?
Quel cri traverse
Ta ceinture de fleurs,
Et ton beau voile d’allégresse ?
忘却の島、おお〈楽園〉よ!
どんな叫び声が、夜のさなかに、
私の揺籃たるあなたの声を引き裂くのでしょうか。
どんな叫び声が、
あなたが纏う花の帯と、
美しい歓喜のヴェールを突き抜けるのでしょうか。
X. おお死よ、星々の塵よ Ô mort, poussière d’étoiles
Ô mort, poussière d’étoiles,
Lève-toi sous mes pas !
おお死よ、星々の塵よ、
私の足元で身を起こしなさい。
Viens, ô douce vague qui brilles
Dans les ténèbres ;
Emporte-moi dans ton néant !
来なさい、おお闇の中で輝く
優しい波よ、
あなたの虚無へと私を連れて行って!
Viens, souffle sombre où je vacille,
Comme une flamme ivre de vent !
来なさい、私を揺さぶる暗い微風よ、
風に酔った炎のように!
C’est en toi que je veux m’étendre,
M’éteindre et me dissoudre,
Mort, où mon âme aspire !
私はあなたの中で身を広げ、
あなたに消えて溶けてしまいたい、
死よ、私の魂の憧れよ!
Viens, brise-moi comme une fleur d’écume,
Une fleur de soleil à la cime
Des eaux,
来なさい、私を、泡の花のように、
海の
頂点に咲く太陽の花のように、打ち砕きなさい。
Et comme d’une amphore d’or
Un vin de flamme et d’arome divin,
Épanche mon âme
En ton abîme, pour qu’elle embaume
La terre sombre et le souffle des morts.
そして黄金の壺から
神々しい香りを放つ炎の葡萄酒を撒くように、
私の魂をあなたの深淵に
撒きなさい、その魂により、
暗い大地と死者たちの吐息が香りで包まれるように。
原文の校訂にあたっては、詩集(下記1)と楽譜(下記2)をともに参照した。原則として詩集のテクストに基づきつつ、そこにフォーレが加えた変更を反映させる方針をとった。ただし一部句読点に関しては、文法上の必要や読みやすさを考慮し、詩集の方に倣った。
1. Charles van Lerberghe, La Chanson d’Ève, Paris, Mercure de France, 2e éd., 1904.
2. Gabriel Fauré, La Chanson d’Ève, Paris, Heugel, 1910.