ギリシャ建築・ローマ建築のオーダーの種類と違い

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Parthenon on the Acropolis in Athens, Greece

古代ギリシャ文明は紀元前8世紀頃から生まれてきたポリスと称される都市国家を基盤として成り立ってきました。都市国家と言っても王政で主体性のあるものは古代ローマ時代となってからで、古代ギリシャは同じような価値観を持っているもの同士のゆるやかな繋がりであったと言われます。

宮殿建築はクレタ文明(ミノア文明)の紀元前30~11世紀にまで遡り、貿易の拠点として物資の貯蔵・再分配を行うための宮殿が建てられました。後期のギリシャ建築のような整合性はなく、建造物も規則性・法則性は少ない時代でした。
私達がイメージするギリシャ建築のオーダー(様式)は幾何学様式時代から生まれました。(古代ギリシアの陶芸で幾何学模様を多用した壷絵の様式があり、紀元前900年から紀元前700年頃を指します。)

幾何学様式時代にドーリス式とイオニア式の2つの様式が生まれ、アルカイック期(紀元前8世紀から紀元前480年)の遷移を通して有名なパルテノン神殿(クラシック時代・紀元前438年)が建造されます。建築は3段の階段の上に正面8本側面17本の周柱式となっていて、フェディアスを始めとする4人の建築家が携わっていますが、彼らの思考をまとめてドーリス式とイオニア式が融合したパルテノン神殿が建てられ、まさにギリシャ建築を体現するような完成度になっています。
この時にはドーリス式(初期)からイオニア式(中期)に移り変わりをしているところで、両方の良さを取り込んで作られたとも言えます。

ヘレニズム時代の紀元前323~31年になってからは、エーゲ海を中心として各国の貿易が盛んになりギリシャからローマが舞台の中心となります。イオニア式で完成していたギリシャ建築でしたが、ローマに進出したギリシャの建築家たちが新しい作品を追い求め、ギリシャ建築を踏襲しつつもコリント式(後期)という柱頭に装飾が施された様式を生み出しました。

紀元前5〜7世紀に成り立ったローマの都市は、それまでのギリシャ建築とは異なり「都市」としての建築を強く意識させるものとなります。ローマのパラティーノの丘とカンピドリオの丘の間に排水路が設けられ上下水道が整備されたり。公共の施設フォロ・ロマーノが作られたり、道路の整備がなされたり、さながら現代の都市のように建築が人を主体となってゆきます。
ローマの共和制中期から後期(紀元前509年〜紀元前27年)にかけて、ギリシャの植民地であった南イタリアを経て建築がローマに伝わります。この頃にコンクリートが生み出されてローマによって半円形のドーム構造が確立されていきます。

コリント式オーダーの特徴としては、アカンサスの葉が象られた装飾的な柱頭と細身で縦溝の支柱です。エンタブラチュアという上部の水平の部分によっても古典的3オーダーの違いがありますが、まず柱頭の形を見れば、ドーリス式、イオニア式、コリント式の区別がつきます。

シンプルな物がドーリス式(初期)、ボリュートという渦巻状の装飾が施されたものがイオニア式(中期)、アカンサスの葉があるものがコリント式(後期)と覚えておくと、神殿を見た時にパット時代の判断がつくと思います。

コリント式の代表的な建造物といえばローマのパンテオンです。パンテオンは紀元前25年に初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近によって建造されたましたが、半円形で外の支柱と内部の支柱がコリント式オーダーになっています。

半円形、アーチ構造と古典的オーダーの融合がローマ建築によって生み出されたと言えます。これらの古典的オーダーの推移がギリシャ・ローマ建築以後の初期中世建築、ロマネスク建築、ゴシック建築などにも強く影響を与えることになりました。どの時代の建築様式も突然生まれるわけでなく、緩やかな時代の変化によって様式が入り交じり融合して生まれます。

参考文献:美術出版社-西洋建築様式史

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