生まれてこのかた貧乏生活を送っているのですが、日本に生まれたからには、一度は本物の和食を食べてみたいと思い銀座の某店を訪れてみました。フレンチレストランは高級店に行ったことがあるのですが、銀座の高級日本料理店というのは初めて訪れました。ミシュランガイドにも3つ星で何度も掲載されるお店で、料金は飲み物を入れると一人5万円、デートでパートナーの分を負担するとなると10万円という非常に高価なお店です。
庶民的な和食店と何が違うのか、高級な日本料理店とは何なのか書き留めてみます。
パシャパシャと写真を撮るのは恥ずかしいので、写真少なめですみません。
オリンピックのためか銀座は人混み
予約時間よりも早く到着し、タクシーを使うまでも無かったのでJR有楽町駅から歩いて向かいました。
ちょうどオリンピックが開催中だったので、外堀通り、並木通り、御幸通りも凄い人混みで高級ブランドの紙袋を下げた人ばかりでした。
写真のように帰り道は空いていましたが、夕方はどこも大混雑で四丁目の交差点も信じられないほどの人混みです。銀座三越の「4丁目で愛ましょう」好きだったのですが、シャンデリアに変わっていますね。
歩いている人もバーニーズニューヨークの少しカジュアルな服から、1着40~50万円しそうなロロピアーナやサンローランのワンピースを着ている淑女まで様々です。大阪や名古屋とは違う、銀座の雰囲気を感じさせます。
来客者よりも従業員の方が多い?
予約時間に来店すると、着物姿の美しい女性が迎えてくれます。ビルの一室にもかかわらず、まるで田舎にある平屋の料理店に訪れたような感覚です。随所に木材を使った造作がされており、家具なども国産の質の高い芸術品だということを感じさせます。
見どころは廊下に並んでいる器の数々、北大路魯山人、加守田章二、岡部嶺男といった巨匠の作品が等間隔に展示されています。実際に料理に使われるのか、それとも飾ってあるだけかは分かりませんが、相当に凝った芸術作品を見ることができます。
店内では料理人と弟子が数名、ワインのソムリエ、配膳係、サービス係といった具合に客の数よりも多い人が働いています。入店すると手荷物や上着を預けて、カウンター席に通されます。カウンターは研磨された、大きな一枚板なので腕時計や指輪などは外しておいた方が良さそうです。
計算されつくした空間設計
空間の作り方が、地方の高級店とは別物です。無垢の一枚板をまな板として使い、そこでエンターテイメントのようにして捌いて調理を披露します。後半の焼き魚のために付きっきりで職人が焼き場に立ち、炭で仕上げていきます。
関心したのが、オープンキッチンで炭火で焼いているにも関わらず、まったく煙が流れてきません。ビルの一室でとても広いとは言えない場所で煙が流れてこないので、空調や煙の流れを計算し尽くしているようです。高級な鰻店なんかも煙が店内に流れないように気をつけていますが、この日本料理店は無臭に近いほどに神経質に計算されていました。
手に触れるものは全てしっとりとして、一切のストレスがないように配慮されています。器はさきほど飾られていたような作家ものばかりで、見栄えも素晴らしいものです。ガラスの器ひとつとっても美術品のように思えます。温度のメリハリもついていて、冷たいものはきちっと冷やされていました。
四季を感じさせる料理の数々と、最適な飲み物
フレンチレストランも同じですが、先付から前菜、椀物といった具合にだんだんと味が濃く重いものに流れていきます。一人一万円程度の料理店と何が違うかと聞かれれば、もちろん素材や料理の腕、味の差はあげられますが、他にも目と香りで楽しめるようになっています。やみくもに希少な食材を使うのではなく、四季にあった最適な食材を、そのときに完璧な産地から取り寄せて使っているという印象を受けます。
ダシの一つをとっても嫌味がなく洗練されています。地方都市の日本料理では、本枯節の香りを濃く主張したような料理がもてはやされますが、銀座の和食はそうではなく澄み切った洗練されたダシや味わいを覚えました。確かにこの味に慣れてしまうと、田舎の名店とされるところにいった時に「田舎くさい」と感じてしまうのかもしれません。
飲み物とのペアリングも奇跡的
飲み物も完璧なタイミングと品質で提供されます。シャンパーニュは某小規模メゾンのブラン・ド・ブラン、白ワインは料理に合わせてリースリングが提供されました。ドイツのリースリングにありがちなペトロール香はなく、適度な熟成感に樽香が夏季のホッキ貝にぴったりです。貝は何種類か出たのですが、信じられないことに臭みが一切ありません。大きな貝は地方の和食店で食べると、口に入れた瞬間にいやな臭みが出てきて、味は良いからと我慢して嚥下することもあるのですが、さすがに高級店なだけあって一切の臭みが無いことに驚きました。
契約農家や提携している漁師に指定した区画で採れたもを使用しているので、市場に流通していない食材が次々と出てきます。SNSのジョークで「力こそパワー」という名言がありますが、まさに力こそパワー状態です。
そこに地方の有名な日本酒が1合出てきますが、精米歩合の高い白ワインのようなエレガントなもので、語彙が全く足りていない宇宙的な味わいとしか表現しようがありません。
お、おお。
高級日本料理も進化している(らしい)
私は貧乏なので初めて高級日本料理に触れたのですが、どうやら話によると日々進化しているようで「これが完成」という目的地がないそうです。もちろんミシュランガイドで有名になって、その店の名物を食べにくるお客さんが毎日押し寄せてくるそうですが、そこで満足しては高い次元に向かうことはできない。といった具合に哲学的な域にまで到達しています。
地方のある有名観光地の日本料理店を訪れたときに、こんな経験をしたことがあります。
価格は5,000円と手頃なのですが、雑誌やテレビ、インターネットにSNS様々な媒体で連日露出して週末になると行列必至。ついには店を拡張してウェブ予約を受け付けて、当日客はタブレット端末で予約チケットを発行してもらい120分待ち。
人が少なかった頃は、確かに美味しかったのですが有名になってからは味がガタ落ち。とてもじゃないけれど行くまでもないという経験をしました。
何もしなくても今のままで行列、これは本物の料理人にとっては良くないことかもしれません。例にあげた地方の店のようにシステマティックな業務になり、和食店ではなく「効率的な金回収システム」になり下がってしまいました。そこまで酷くなくても、傲慢や横柄な気持ちが味や食の探究心の低下につながってしまうのかもしれません。
高級日本料理店は、料理が一流、空間が一流、サービスが一流、それもありますが志や精神性もまた同じように一流なのだと実感しました。
美味しい透明なデザートを食べているとき、配膳係りの女性に「お客さまは、このデザートを毎月楽しみにされているのですよ」といわれ、背伸びして私の来る場所ではなかった…と反省して帰路についたのでした。(おわり)