この無駄に長い人生、今も含めて貧乏なのですが米だけはこだわってきました。御祖父様が米を作っていたので、変なものを食べれない味覚になっているからだと思います。
2017年からは脱炊飯器生活になり、必ず米は土鍋で炊くようにしています。
水は水道水ですが、紀州備長炭に48時間漬け込み冷蔵庫で浄水したものを使っています。
米は阿蘇のなかストアの無農薬、アイガモ農法コシヒカリを選んで購入しています。コシヒカリが好きですが、森のくまさんやヒノヒカリも大好きです。
米を品種で選んではいけない
米を品種だけで選ぶのは間違っていて、それはワインを購入するときにブドウ品種で選ぶのと同じです。カベルネ・ソーヴィニヨンでもピノ・ノワールでも、それがいかに優れた品種でも作った人と土壌が全てです。
「コシヒカリ」とりっぱな名前がついていても、それを米の生産に向いていない土地と土壌で、沢山の肥料と農薬で雑に作ったのであれば、美味しい米にはならないのです。
生産者と土壌が良ければ、どんな品種でも美味しいわけです。もちろん食べる前に、その日の分だけを精米しています。
精米機や備長炭は高価ですが、一度購入すればずっと使うことができますし、米もコンビニ弁当を比較すれば、無農薬でも一食当たりの金額は弁当以下になります。
炊飯は味覚のチューニング
無心になって米を研いで土鍋に火を入れますが、米を炊いているときの香りで自身の嗅覚を確認することができます。
吹き出してくる米の蒸気を嗅ぐと、今日は甘みが強く感じる、今日は芋っぽいほっこりとした香りがする、今日はあまりニオイがしない、といった具合に同じ米なのにニオイが違って感じることがあります。
その日の体調によって以下に人間の味覚や嗅覚が変化するかと実感させられます。また土鍋を使うことで、焦げる瞬間の香りに対して敏感になります。「あ!そろそろ焦げる」と慌てて火を止めることもあります。
洗米の仕方や、精米の脱穀の加減、浸漬時間、火の加減、蒸らし時間、同じ米と水でもこれらが味に変化をもたらします。そして時に信じられないほどに美しい米が炊きあがって涙するようなときもあります。
米に艶があり先が立ち、粒の形がのこりながら柔らかく、穀物の香りが土鍋から飛び出してくるようです。温泉旅館の土鍋ごはんで感動したことが何度かありますが、それを自分で実現できると嬉しいものです。
良い米を日常的に食べていると、インチキ飯屋を一瞬で判断できる
そしてこういった米を日常的に食べていると、外食に行ったときに米の品質が一瞬で判断できます。さすがに産地や品種、収穫時期を当てることは難しいですが、それでも「美味しい米」なのか「粗雑な米」なのかは瞬間的に分かります。
Googleレビューが4.5の高評価な料理店に行ったときに、出てきた米が少し変色してボロボロの米でがっかりしたことがあります。サトウのごはんの方がマシなくらいです。
そういった不味い店に限って米の量が多いのです。二郎系ラーメンのような、ガツガツ!という店ならまだ理解できますが、そうでないなら米の量を減らして品質を上げて欲しいものです。
近年はインチキ料理店がネットで高評価を得ることが多く、そういった店に行きがっかりすることが増えました。
SNSでは見栄えの良い海鮮丼でも実際に行くと、米は不味い、マグロの刺し身も解凍のスジ部分や、油でベトベトな自称トロなトラウトサーモン、塩素で漬けて時間の経った香りのしない大葉、中国産の海苔。どれも、うんざりします。
醤油も一番安いもので、わさびもパック。もう何を食べているのか分からないほどです。極めつけは茶が不味い。
様々な産地をブレンドしたバルク品で、エグ味と添加された甘さで、湯呑に戻してしまったほどです。
味覚を研ぎ澄ますと人生が不幸になる?
人生が生きにくいなぁと感じるのですが、味覚をトレーニングするメリットは真の美味しいものに出会った時に感銘を受けて涙するような体験ができることです。それが果実やワインであっても、米であっても、刺し身であっても。良いものは良いと自分の中の価値尺度で評価できることもメリットです。
デメリットは食べれるものが極端に少なくなり、ストレスが増加することです。私の知り合いにファーストフード店やチェーン店が嫌いで、蕎麦うどんも美味しいものしか食べない人が何人かいます。物理的に食べれても瞬時に、その料理の本質を見抜いてしまうので、想定的に人生の満足度が下がることになります。
野草や花々の香りから品種が分かるような人間が、都会に引っ越して嗅覚不幸になるのに似ています。現代ではHSPは不幸になりやすいので、万人にトレーニングをお勧めはできません。
それでも米の味の分かる人間になりたいのであれば、自炊するときに自家精米、土鍋、鉄鍋などで釜炊きをすることをお勧めします。またさらに究極な米の味を追求するには御祖父様のように自らで米を育てて、それを離れにある炊事場で井戸水を使い、藁や薪で炊くのが究極に近づく一歩といえそうです。