オイディプス(Oedipus)はアムステルダムに拠点のある、ビール醸造所だ。アムステルダムの北岸にある。
公式サイトによると四人の友人たちによって創業されたらしい。この会社のビールのラベルや公式サイトのデザインを見ていて、まず伝わってくるのはそのポップさだ。彩度の高い色が多用され、サイケデリックな印象を受ける。
これほど凝ったビール会社のサイトを見たことがない。ビール制作の様子を再現したアニメーションまであるのだ。またサイトはオランダのクラフトビールのサイトには珍しく英語表記である。オランダ語版はないようだ。オランダ人の英語能力と、海外市場を考えれば不思議とするにはあたらないが。
英語であるというのは彼らのコスモポリタン性を表してもいるのであろう。四人の友人によって創業されたと書いたが、アレックス、ポール、サンダー、リックと公式サイトに名前のあげられた彼らは元アムステルダムの有名なビールバーで働いていたという。Beer Templeというのがその名前だ。アメリカのビールを中心にそろえたクラフトビールを提供するバーだという。筆者はまだそのバーに行ったことはないが、アムステルダムの酒場なら、その国際的な雰囲気は容易に頭に浮かぶ。少し前の記事になるが、オランダでは移民の同化政策というのが時代遅れであるという記事があった。特にアムステルダムではもはや生粋のアムステルダムっ子といえるのはスリナムやトルコ、モロッコ系などの移民の二世三世であるという。
彼らがオランダ語をしゃべらないということはないが、それでもアムステルダムは英語のよく聞こえてくる町だ。それはツーリストが多い街であるというのが第一の要因として挙げられるだろう。生粋のアムステルダムっ子だって、オランダ人にせよ、移民の出自にせよ、もはや見た目だけでは何語を話すかは分からない。実際、筆者が住んでいるライデンなどと比べると、店で英語で話しかけられる率はアムステルダムの方がはるかに高い。
オイディプスのストーリーについてさらに続ければ、四人の友人たちはまったくの素人から醸造を始めたらしい。クラフトビールを出すバーで働いていて、はじめ自分たちの好奇心からビール造りを始めた。自分たちだけで飲めなかったビールを知り合いや友人などに試飲させるうちに事業を始める決意が芽生え、ビアフェスなどに出店するうちに着実に技術やマーケティングを高め、ブランド創設に至ったのだという、マイクロブルワリーには珍しくもなさそうなストーリーだが、意外とこう分かりやすい流れは珍しいのではないか。
肝心のビールのレビューにいこう。
一本目はPaís Tropical。ラベルのデザインからハッピーな南国気分が味わえる、セッションIPAだ。すでに数本このビールの連載を続けて来て、ラベルのデザインや名前の重要さが改めて分かって来た。同じくらいの味の、同じ種類のビールなら、見た目がきれいで(ラベル)、背景を楽しめる(名前)メーカーの方を選びたくなる。そういう点でこの一本のビールは満点だろう。
País Tropicalというのはブラジルの歌手ジョルジ・ベンジョール(Jorge Ben Jor)のヒット曲の題名だ。意味は日本語なら「南国」か「熱帯の国」と訳すといいだろうか。ちなみにセルジオ・メンデスによるカバーであるSérgio Mendes & Brasil ’66版の方が私は好きだ。
香りを嗅ぐと、「トロピカル」の名に恥じず、マンゴーやパイナップルがまず来る。それから小麦の香りも。実際、原材料に入っている。粘りもあり、オーツ由来と思われる。
面白いのはオーツと小麦がそれぞれflaked oatsとflaked wheatとして入っていることだ。小麦は麦芽としても入っているが、オーツはflaked(薄片)だけである。American Homebrewers Associationの記事(”The Impact of Flaked Oats on New England IPA”)によると、flaked oatsとは、オーツ麦を麦芽にせず、薄片にする過程で澱粉が圧力と熱によってゼラチン状に固まったものだという。とろみや濁りを出させるのに役立ち、2017年の数年前まではスタウトやポーターにその使用が限られる傾向があったが、今ではNE IPAなどで好まれるようになっている材料らしい。
背景にはextract brewingという新興のビール会社とcereal mashingという麦芽汁を作る方法との違いがあるらしい。Flaked oatsを使うのは前者のほうで、cereal mashingはクリアなビールを作るときに用いられるようだ。こうした詳しい製造法についてはいつかまとめてみたい。ビールの作り方というのは英語では大量に情報が回っているが、日本語ではまだまだ少ないように思えるからだ。
País Tropicalの味に戻ると、後味はライムやホップの苦みが感じられる。とろみがあっても、苦みがあることで、爽やかに楽しむことができる。暑い時に味の薄いビールを飲みたくなる気持ちは分からなくもないが、これからの第一の選択肢は、こうしたとろみやこくがありつつも、苦みを利かせることで重くならずに飲むことができるセッションIPA系になっていくだろう。だって、正直、味の薄いビールはどれだけ頑張って複雑な味を感じ取ろうと思っても、徒労に終わるのだからつまらない。
ここまで言えば今回の記事で私が言いたいことは終わったような気もするが、あと三本。
Thai Thai Tripelはその名のトリペル(tripel)の通り、重たいビールだ。重たい柑橘系の香りがする。輪郭のくっきりとした味わいで、トリペルらしく重いのだが、柑橘系の香りと味によって夏にも楽しめる味わいに仕上がっている。ヴァイツェン系の粘りや香りもするのだが、原料に小麦はない。しかし代わりにガランガル(聞いたことのなかった名前だが、ショウガに似ているが味はかなり違う植物だそうだ)、コリアンダー(パクチー)やオレンジの皮、レモングラス、唐辛子!などの香辛料が入っており、それがとろみの原因かもしれない。後味はグレープフルーツ。全体を表するとコクがあり、大人の味わいである。
次はMannen Liefde(男の愛)。公式サイトには滑稽な動画が上がっており、そこでは男同士のビールによる絆(ホモソーシャルな絆)が戯画化されて描かれている。Oedipusの思惑としては、ビールは男がサッカーを見ながら飲むものじゃない!といったメッセージがあって、それを反語的に表現した一本である。これがオイディプスのはじめてのビールだとか。こういったところにもブランドの思想が見える。従来の、男が飲むものだというビールのイメージを変革したいのだ。ラベルの後ろには「MADE WITH LOVE AND LEMONGRASS」と書かれている。
さて、これはまず燻製の香りがする。それにグレープフルーツが加わり、口に含むとホップの苦み。まあ、うまいのじゃなかろうか。スモーキーなウィスキーが好きな人にはきっと好みの味だろうと思う。
最後はGaia。これはもう王道のインディアンペールエールである。西海岸IPAなので、東海岸と違って、濁っていたり、とろみがついていたりもしていない。ただ爽やかにホップの苦みを楽しめるのだ。
まじで苦い。刈りたての芝生と柑橘の香りがし、味はなんだろう、うまいし、癖になる。なんか懐かしい味がするのだが、うまく譬えられない。
まったく悪くない。美味しいIPAです。IPAの王道、ということはとりあえず苦い!
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