ベステッティ(Riccardo Freccia Bestetti)の靴を買いました。購入したものはモデル名がMaverickで色はBollet(赤茶色のパティナ[ちなみにpatinaはアメリカ英語ではパティーナ、イギリス英語ではパティナという発音です。アクセントの位置が違います])です。セミブローグでラストはアーモンド・トウです。
美しいのです。
間抜けなコメントではじまりました。写真でよく伝わるといいのですが、美しいものについて語る時は言葉が少なくなります。
何がよいか。
- 形状の美しさ
- ラストの快適さ
- 革質
- シューツリーが豪華
1.形状の美しさ
私がこの靴を所有してみて、気付いた点は、まず羽部分がかなり高いということです。つま先部分はほぼ地面と平行の線を描き、そこから富士山のように甲が立ち上がります。その角度は例えば自分の持っているヴァーシュ(Kラスト)やオールデン(アバディーンラスト)と比べてみて、際立っています。
その鎌首を上げた蛇のように持ち上がった羽部分はまた、他の靴と比べて長くもあります。実際、ベロ部分の位置を比べてみると、いくらか後方に位置していることに気付きます。
この特徴的な羽部分(甲)の高さは、ブーツの形状を思い出させます。ベステッティの創業者Riccardo Freccia Bestettiはイタリア人ですが、もともとアメリカでウェスタンブーツ作りからキャリアをはじめた人物であり、紳士靴はあとから学びました。このことがもたらした影響は例えばテーパードの踵(cuban heel)に見られるとされますが(購入先のThe Handのオーナーがそう言っていました)、個人的な感想としてはこの高い甲の作りもそれと関係があるのではないかと思います。
ベステッティの靴はグラマラスな形状の花瓶のようだと思う時があります。中に薔薇の一本でもさして、窓際に飾っておきたくなるのです。どうしてそう思うのか。それは正面から見るとよく分かりますが、履き口が人の足の自然な形状に合わせて少し外側に傾斜しており、その結果ねじれているからです。この形状は何度見ても新鮮で、何かに譬えたくなり、今現在は私の目には首を互いに反対方向に傾げている双子のように見えています。
またベヴェルドでフィドルバックのソールも忘れてはいけません。絞り込まれたウェストはグラマラスの一言に尽きます。必ずしも履き心地に直結しないとは知っているのですが、これに触れるともう他のぼてっとした幅広のウェストには戻れないと思ってしまいます。
2.ラストの快適さ
この価格帯(私の購入したものは1350ユーロが定価です)の靴で、サイズを失敗しない限り快適でないという靴はあまりないと思われますが、それでも言及する必要がありましょう。
はっきりいって、幅広気味のラストです。このラストのオリジナルな名前はどうやら特にないようなのですが、ベステッティの代表的なラストで、「アーモンド・トウ(almond toe)」です。形状がご覧の通り、アーモンドに似ています。ラウンド・トウの一種ですが、チゼルやスクエアにはない柔らかさを持ち、古き良きイギリス的な堅物のラウンド・トウとはまた違った遊び心があります。
捨て寸が長めで、そのことにより寸胴な印象を免れていますが、ボールジョイント部分は十分に幅があり、小指があたることがありません。筆者は左右の足の大きさの違いが多少あり、いつも小さいほうの左足に合ったサイズを購入していることが多いので、長時間歩くと、右足の小指部分が当たってくることがありますが、この靴の場合はそんなことはありません。
ではサイズ感が他のメーカーに比べて大きめなのでしょうか。確かに、そのように記しているお店も存在します。しかし今回は私は普段の自分のサイズ(UK9)をそのまま購入しました。結果、今ではこれでよかったと思っています。というのは確かに幅は広めで甲も高めで、捨て寸も長めであるものの、ボールジョイントの位置に合わせるなら、小さめのサイズを買うと爪先がキャップの中に押し込められてしまっていただろうと思うからです。現代の靴は美的観点からどうしても爪先が先細りの形状になっています。しかしどんな人の足を見ても、そんな格好の足をしている人はいません。纏足のような状態を避けたければ、足指がある程度自由に動くサイズ(縦にも横にも)を選ぶべきだと思います。
とはいっても脱げやすいような作りでは靴として機能しません。その点、ベステッティのこの靴は履き口と踵が小さく、またベロ(羽)部分が長いため、踵が抜ける心配はありません。履き心地の所感としては、靴業界の立ち位置でいうと、かなり異なりますがTrippenの靴と少し似ています。足指は余裕があり、踵はしっかりつかまれているというものです。
さらに、このベステッティの靴は土踏まずのフィット感も特筆すべきものがあります。下から突き上げてくるというより、横から支えられているということを感じます。こうした土踏まず部分の支えと踵の掴みにより、履き心地の快適さを実現しているのです。
正直、実は私の甲には少し高いのですが(羽が閉じ切ってしまいます)、それでもフィッティングとして悪くはないと思っています。というのはこの靴を履くようになって気付いたことですが、一、二時間も歩くと、最初は少し緩いと思っていても、ぴったりになってくるのです。足の大きさというのは常に一定ではありません。特に、飲み会でもあった日には帰宅時には足がパンパンに膨張して、朝履いた時には穏健な開き具合だった羽が開ききっているといったことも珍しくはありません。そう考えると、素面や、未だ歩行をしていない状態(車を乗り継ぎ自分の足で歩かない方々もいるでしょうが)で靴下のようなフィッティングの靴を買い求めることが必ずしも賢明であるとは考えられません。
ベステッティの既成靴には他にPerfettaというラストもあります。リッカルドが長い時間をかけて開発したスクエア・トウのラストです。私は試したことがありませんが、チゼルやスクエアが好きな方はぜひ機会があれば試してみてはいかがでしょうか。
3.革質
お金を出せばいいものが買えるのだなと思いました。
自分の持っている他の靴の革がくすんで見えます。それほど光っています。トラピストのビールのような深みのある赤茶色の革で、革自身がこの輝きを放っているのだと思わせるような上品な輝きを放っています。その上の蝋が輝きを放っているのではない、いや、実際には蝋の貢献は大きいのでしょうが、革自身が自然に光っているような、そんな上品さを醸し出す輝きです。
皺は入りやすいです。しかしそれを補ってあまりある革の柔らかさと光沢があります。カーフというのは柔らかいから紳士靴に採用されるのだといわれます。その通りでしょうが、それでもそのカーフの間でも柔らかさには差があります。馴染んできてようやく柔らかくなるものもあれば、最初から手袋のように柔らかいものもあります。このベステッティの靴は後者です。
ソールもグッドイヤーながら返りはよく、硬さは感じませんでした。履きおろしの際にには、左足の外側の履き口がすれるという少しの靴擦れはありましたが、それだけです。
4.シューツリーが豪華
白木のきれいなシューツリーです。シューツリーは分厚いコーティングがされていないものが一番です。靴が臭くなってしまうという問題が発生するとしたら、それは毎日履いてしまっているか、ニスで塗られてしまっているシューツリーを入れているというのが原因として多いのではないでしょうか。シューツリーはまず、湿気をため込まないコーティングされていないものであり、次にラストの形状に合わせたものであるというのが優先順位に挙がるのではないでしょうか。
ベステッティの場合には白木のラストに合ったシューツリーが付属します。何も考える必要はありません。この美しいシューツリーを突っ込んでください。シューツリーだけ取り出して、頬の前に持ってきて、じっくり鑑賞するのも、特にこのコロナ禍で他に何もすることがないというならば、有意義な時間の過ごし方です。靴好きというのはシューツリーだけで五時間ぐらい話せるのでしょう、きっと。私はそれほどマニアではありませんがそれでもシューツリーという靴にとってもみれば附属品でしかないものについても美しさを認め、陶酔することもあります。生産的ではちっともないのです。マタタビに夢中になっている猫が果たして生産的でしょか。
このベステッティのシューツリー、ラストに合っているとはいえ、出し入れが困難なほどぴったりなわけではありません、ほどよく空間が空いています。それはよいことでしょう。シューツリーというのはあくまで人間が靴に対する恋慕を日々の動作の中で実現する際に媒介する物質なのであって、もしシューツリーがお気に入りの靴にうまく入らないということがあったらどうなるでしょう。
そういう場合は、その靴を憎むか、シューツリーを憎むか、おのれの不器用さを憎むか、さまざまなケースが考えられますが、あまり健全な人生の過ごし方ではありますまい。冷静になって、シューツリーが嵌めにくいからといって、あるいは抜けにくいからといって、パニックにならないでください、そんなことは今まで起こったことがないって? ならあなたは幸せなのでしょう。
最後に
以上です。私はベステッティ(Riccardo Freccia Bestetti)の靴を買っただけです。それで4000字以上の文章を書いたのです。それは私が無理をしたのではなくて、これまでに無数の靴好きが紳士靴について語ってきた言葉があるからこそなのです。彼らの言葉の上に私は少し付け足しただけです。
「何の意味があるのか」という言葉は今日では「それがどれだけ実用的か」と同意義で発せられます。面白い意見で日々謹聴するに値しますが、それでも何を美しいと思うか、欲しいと思うかは必ずしもその問いに還元されません。残念ながらそうなのです。私はこんなに美しい革靴は別に必要ではなかったのです。第一、これを履いてどこに行くというのでしょう。オンラインで仕事が進められる現在外出する必要もありませんし、近所のどぶ川の周囲を散歩する以外にどんな散歩コースがあるのでしょう。
それでも美しい革靴を所有することは日々の生活を豊かにしてくれます。ウィリアム・モリスがアーツ・アンド・クラフツ運動を起こしたのは産業革命によって画一的になってしまった製品の世界にもう一度手仕事の良さを取り戻すためでした。今日、手仕事の価値はあちこちで見直されていますが、依然としてファストファッションが幅を利かせているのも事実です。
残念ながらRiccardo Freccia Bestettiは2016年に逝去し、友人のMarcoが2017年に事業を引き継ぎましたが、2019年にやめてしまいました。ベステッティの靴を取り扱っている店は元々限られていましたが、これからはますます手に入りにくくなります。
私が購入したのはThe Handというアムステルダムにある店です。店主は靴に情熱を持っており、エドワード・グリーン、ガジアーノ&ガーリング、ノーマン・ヴィラルタ(Norman Vilalta)などの高級靴を取り扱っています。オンラインショップは見やすく、世界中送料無料で配送しています。ベステッティの靴はすでに在庫が限られていますが、サイズの合う方はまだここで買い求めることができます。
他にシンガポールのLast&Lapelでもベステッティを取り扱っています。現在セールになっているようでサイズが合う方はお買い得で買うことができます。
元々ネットで情報が少ないベステッティ、更にもう事業をやめてしまったということで、まだインスタグラムのアカウントで靴の写真は見ることができますが、これからここの靴は手に入りにくくなります(再開すれば別ですが)。決して長続きしたブランドではないですが、紳士靴の最高峰の一つとして高く評価されていたメーカーです。拙稿がベステッティの靴に対するささやかな資料になれば幸いです。
*ベステッティのブランドの歴史やラストについての情報はThe Handから聞いた情報に拠る。