オランダ生活のちょっとしたことについて話しましょう。
便器
まずは便器。こちらで見かけるすべてがそうというわけではありませんが、糞便が落ちる場所が水の中ではなく、白い陶器の上であるという便器をよく見かけます。私の家のものもそうです。水たまりの穴が中央や後方の代わりに前方にあり、その後ろは盛り上がった白い陶器の土手になっているのです。和式では排泄物が前方の穴に向けて流れていきますね。それと同じです。(画像があれば一目瞭然ですが、控えました。直接的すぎてリナシメントの誌面に向かないのではないかと思ったからです。)
はじめのうちはこれを見て随分戸惑ったものです。もしかしてこのトイレでは逆向きに、タンクを抱くような形で座らなければならないのだろうか、あるいはもっと前方に座る必要があるのだろうかなどと疑心暗鬼になりました。然し座り方に違いがあるはずはありません。排泄物は直接穴の中に落ちない設計になっているのです。
このタイプのものの場合、自分の排泄物をよく観察できるという利点があります。私の場合、オランダに来たてのころは硬水のせいか下痢気味で、げんなりすることが多々ありました。
科学的観察には向いたこの便器の仕様ですが、困る点もあります。それは水を流すと往々にして排泄物にぶつかった水流が上方に飛び散る水滴となることです。このような場合、便座の上に着地した水滴を拭きとることは、その水滴の中にどんな菌がいるのかと想像すると、ストレスになり得ます。しかし心配しないでください。この問題をエレガントに解決する方法があります。それは排泄物の上にトイレットペーパーをそっと被せることです。私の経験上、この方法を採ればもう水滴が便座の上まで飛び上がることはありません。
便器についてはスロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクが興味深いことを書いています。彼によればイギリスやドイツの便器の形態の違いによって興味深い考察が導き出されるのです。彼の観察によると、西洋のトイレは三つに分類できます。1. ドイツのトイレ:穴が前方にあり、便は流される前にじっくり検べることができる 2. フランスのトイレ:穴が後方にあり、便は最短の速度で視界から消え去る 3. アメリカのトイレ:前の二者の綜合であると言える。便器は水で満たされ、便は認識可能だが、じっくり検められることはない。
オランダのトイレは1のドイツ式で、日本は3のアメリカ式と言うことができましょう。では、このトイレの分析から得られる結論はどのようなものでしょうか。
ヘーゲルはドイツ-フランス-イギリスという地理的な三つ組みを三つの異なる実存的な態度に解釈した最初の論者の一人として知られる。すなわちドイツの徹底した内省、フランスの革命的な性急さ、イギリスの中庸を是とする功利実利主義である。政治的な言葉に置き換えると、ドイツの保守主義、フランスの革命的急進主義、イギリスの中庸な自由主義である。各国の社会活動の分野における優勢をいえば、ドイツの形而上学と詩、フランスの政治、イギリスの経済と読み替えられよう。トイレの形態の違いを参照することで、排泄物の処理というわれわれの最も内密な活動における同様の三つ組みを発見することができる。すなわち熟考をともなう多義的な熱中、不快な余分を出来るだけ早く取り除こうとするせっかちな企て、余分をただ普通の物体として適切に処理しようとする実利的な取り組み方である。ラウンドテーブルでわれわれはポストイデオロギーの時代に生きているのだと学者が主張するのはたやすい。しかし熱くなった討論のあとで、お手洗いに行った瞬間、彼はまたイデオロギーにひざまでつかっているのだ。
Slavoj Žižek, How To Read Lacan, London: Granta Books, 2006
第一章から、邦訳が手元にないため拙訳
いずれにせよ、ヨーロッパで便器を使う際は、以上の点に注意するとともに、カルキの問題についても知っておいた方がいいでしょう。水質のせいか、信じられないほどカルキが発生します。トイレ掃除をこまめにすることをおすすめします。ドラッグストアなどでよく見かけるトイレ掃除の洗剤はカルキ除去を主としてうたっているいるものが多いです。
ゴミ出し
上の写真にある物体は何でしょうか。これはゴミ集積所なのです。この箱を自治体のカード(住んでいる地区のものしか開けれレません)を使って開け、中にゴミを捨てます。
ヨーロッパは環境先進国なのだからゴミ分別のシステムもさぞ発展しているのではないかと思っている方も多いのはないでしょうか。実はここでは市民がゴミを分別する必要などまったくなく、無造作にこの箱の中にゴミを放り投げることができます。分別は業者がやるのです。
しかしこの箱、一体どんな仕組みになっているのでしょうか。てこでも動かないように地面に埋め込まれているように見えますが、時々、前日と違う向きに置かれていることがあります。それに遭遇するたびに狐につままれたような気持になっていたのですが、次の動画を見て、疑問が晴れました。
2:17頃からゴミ箱がクレーンで持ち上げられている映像があります。勝手に地下で回収していると思っていたのですが、地上で持ち上げて回収していたのですね。なので時折戻すときに向きが変わっていることもあると、腑に落ちました。
オランダの窓
オランダの窓は大きいのです。それは外国人の誰もが気付くことで、すでにカレル・チャペックが1932年に出したエッセイでオランダの住居について述べています。
(…)上の階に昇るには、ちゃんとした階段の代りに、とても狭くて急な鶏小屋の止まり木のようなものがついている。それゆえ、家具は窓から中へ運び込まねばならない。そんな階段を使うことはできないだろうから。それゆえ、家の上階にはロープとそれをぶらさげるための支柱となる張出しがついている。それゆえ、窓がそんなに大きいのだ。その結果、オランダ人たちは家の中に座り込んでいて、やたらに街路や居酒屋へ走り出るようなことはしない。なぜなら、いったんそんなにも狭くて急な止まり木を伝わって家に入ったが最後、また昇り降りしなくても済むように、ぴかぴかに磨かれた窓に向かって座り、街路で何が起こっているか、傾いた鏡の中を見ていたいからだ。
カレル・チャペック『オランダ絵図』飯島周訳、ちくま文庫、2010、42頁
「支柱となる張出し」や「傾いた鏡」といった表現については機会があればまた他の記事で説明しましょう。両方とも現在でもよく見かけるオランダの建築の特徴を言い表しています。端的に言えば、オランダの古い建築には窓から家財道具を出し入れするためにファサードに張り出した鈎がついており、またオランダの地面は埋め立てられて作られているところが多いため、傾いた建築物が珍しくないのです。
オランダに来たてのころはこの大きな窓に昂奮し、またオクシデンタル(occidental)な街並みに酒を一気飲みしたような頬の紅潮を覚えながら、街を散歩するたびに、一々の窓の中を覗いて回ったものでした。実は今でもそうしていますが、これほど人の家の中を覗くのに最適な環境はプライバシーという概念の発達した先進諸国の中では珍しいのではないでしょうか。
「みんな、インテリアを自慢してるんだよ」ある同郷人はそう言って、しかしオランダの住居の窓の内側の光景に対する興味を捨てきれないようでした。彼と散歩するたびに気が付いたことですが、彼は私があんまりじろじろ他人の家の中を見すぎると言って非難するのに、自分でも顔を窓の内側の光景に向けているのです。ブラインダーやカーテンを閉めて、外部からの視線に対する防御を備えている窓が珍しいというわけではありません。しかしそれと同数くらい、まったく隠すものなしに部屋の中を露出している例も多いのです。
実際、その前を通る行人はどのように振る舞えばいいのでしょうか。中をまったく見ない? 人の家に断固として興味がなければそれでいいでしょうが、多少なりとも好奇心があれば、首がどうしても左なり右なりに曲がっていることに気が付きます。
この問題に対する解決策は筆者はまだ用意できていません。住人がどうぞこちらに気が付きませんように!と祈りながら首をなるべく曲げないようにして横目で窓の中を覗きます。中の陽気な若者がこちらに向かって手を振ります。恥ずかしくなり、こちらは手も降り返さず、足早に過ぎ去ってしまいます。
信号機
オランダの横断歩道の信号機はカタカタカタとキツツキがしがみついてでもいるような音がします。はじめてオランダについた時、同行者との会話の中でこの音について触れてみると、「そういえばそうね、慣れちゃって気付かなかった」と言われました。考えてみれば日本の横断歩道も機械が歌っているような奇妙な音がするので、訪日外国人には珍しく聞こえるかもしれません。
謎の中国風女性――LevoのSlaolie(植物油)
オランダの街を散歩していてこれに出会えたならラッキーかもしれません。どこにでもいるというわけではありませんから。実際、別にこれを鉢植えにすることが義務付けられているわけではないのです。
どうやらこれは油の巨大な缶らしいが、どうして中国風のデザインなのだろう。この家の住人が中国系の人なのだろうか、街歩きをしていてこれを見た時そう思って記憶に刻まれていました。そのあと、デン・ボス(’s-Hertogenbosch)にある北ブラバンド美術館(Het Noordbrabandsmuseum)という美術館に行ったところ、オランダの現代の産業文化やポップカルチャーについての「Asjemenou!」という展示があり、そこでこの缶を再発見しました。
その展示の説明書きによると、この写真の中国風美人はGwendoline Tchaiさん。オランダの北部フリースラント州のレーワルデン(Leeuwarden)のとあるフォトスタジオでこの写真が撮られたそうです。説明書きは曖昧な書き方をしていて、この写真がこの油の缶のラベルのために撮られたかどうかはよく分からないのですが、ともかくフリースラントのLevoという会社が自社の植物油のラベルのためにこの写真を採用することに決めたのでした。この油は1980年の発売以来レストランやカフェ、ホテルといった業務用の植物油の市場をリードする存在になり、この中国風美人の笑顔を載せた缶は、中身の油をすべて吐き出した後は土と植物の根やゴミなどを代わりに入れて、オランダのそこかしこでささやかな存在感を放ち続けているのです。
ちなみにSlaolieは大豆などいくつかの植物由来の混合油で、「sla」という言葉は古くからある種から絞った油を指す言葉のようです(Levoのサイトによる)。Levoのサイトの上でもこの美人の笑顔は健在です。ラベルの漢字は「上等菜仔油」と読めますが、「菜籽油」が中国語で菜種油という意味ですね。「仔」の字を使っている理由や、厳密にはslaolieは菜種油ではないだろうという疑問が出ますが、細かいことは気にするべきではないのでしょう。
Bakfiets
オランダに来て日本人がその自転車文化でまず度肝を抜かれるのがこの荷車と自転車が合体したような代物です。荷車に子供を載せて押しているのどかな田舎の風景でも想像しましょう。その荷車を押している優しそうなおじさんなりおばさんが自転車に乗っていると思ってください。それがbakfietsなのです。
Bakfietsはカタカナで表記するならば「バックフィーツ」とでもなりましょうか。「bak」は大きな容器とか箱の意味で、「fiets」はオランダ語を勉強し始めた人が一日目に覚えなければならない単語「自転車」を指します。
オランダの街を歩いていてこのbakfietsを見かけない日はないといっても過言ではないでしょう。それほどこの便利な道具は人口に膾炙しています。この箱に載せられた小さな子供たちはまったく幸せそうで、後ろの両親と会話したり、目まぐるしく変わる景色に目を見張ったり、掴んでいた風船を放してしまって、風船が後方の車道に取り残されて手の届かないところに行ってしまうのを指をくわえて振り返ったりしています。また、この乗り物は雨の多いオランダの天気に適応していて、屋根が付けられます。子供はどんなに悪天候の中でも箱の中でビニールにしたたる水滴に歪んだ運河や石畳を見ながら、振動と移動がもたらす心地よさに浸ることができます。
Bakfietsに載せられている子供ほど可愛いものを知りませんが、その幼子が二人で載せられていると可愛さが倍増します。正しいbakfietsの使い方は双子を載せることだと提唱したいほどです。
このbakfiets、一体どういったわけで今日の形になったのか、起源が定かではありません。先の北ブラバンド美術館にも展示されていましたが、その説明書きで誰が生みの親かははっきりしないと書かれていたので私が調べて分かる可能性は低いでしょう。
それでも少し分かることがあります。50年代ごろまでは純粋に荷物を運ぶためのものとして使われていたということです。また、1990年までは交通法上自転車とみなされていなかったので、自転車道を走ることができなかったそうです。1990年になってやっと自転車道を走ることができるようになったので、それ以後現在のような人気を勝ち得たと推測できますね。
このBakfietsにまつわり、オランダの広辞苑みたいな存在Van Daleにも載っているbakfietsmoeder(bakfietsの母)という言葉があるそうですが、北ブラバンド美術館の展示の説明によると、あまりいいイメージの言葉ではないようです。それはなぜかというとこの自転車、幅を取るので他の人の邪魔になるのですね。
オレンジ色の騎士たち
日本でも最近はUberなどのアプリを使った出前が普及していると思いますが、オランダも例外ではありません。しかし緑色のUber EatsよりもThuisbezorgtという会社のロゴを背負った騎士たちが自転車にまたがって狭い都市を縦横無尽に移動しているのをよく見かけます。「家に届く」という意味のこの会社はオランダに本社がありますが、Just Eat Takeawayという英語名も持つ国際的な会社のようです。
オレンジ色のユニフォームを着て自転車にまたがったこの騎士たちを街で見かけない日はないといっても過言ではありません。ピザ屋の前にオレンジ色の塊が見えればこのThuisbezorgtの一味であることは確実です。もともと自転車の漕ぐスピードが速いオランダ人、この出前のシステムはそんな彼らの習性が存分に生かされていると言えるでしょう。雨の降る日にはレインコートを着て、視界の悪い中、道に迷い、雨宿りをしながらスマホで地図を確認している姿には健気さを感じます。働いているのはほとんどが少年少女といってよいような見た目の子たちです。
この出前サービス、確かに便利なのですが、配達を急いでスピードを出すあまり、歩行者には厄介な存在でもありえます。筆者の友人のオランダ人いわく、どうしてそんなに急ぐ必要がある!?あいつらが急ぐのは勝手だがどうしてこちらまでそれに合わせて道をどいたりしなければならない!?ともやもやした気持ちを抱くこともあるそうです。
Krat
日本のスーパーにはこんなものは置いていません。オランダのスーパーでは置いていないところがありません。それはビールの300ml瓶2ダースの箱のことです。オランダ語でkrat(クラット)といいます。
オランダのスーパーではこの箱が山と積まれています。基本的にピルスナーで、ハイネケンやグロールシュといった日本でも知られているメーカーのものをはじめ、Hertog JanやAmstelなど海外展開はそれほどしていないオランダのブランドのビールもこの箱で売っています。
ピルスナーが飲みたいのであれば、この箱買いをするのが一番安上がりです。スーパーによりますが、安い時には、ひと箱8、9ユーロで売られています。注意が必要なのは、この値段はデポジットを抜いたものなので、会計ではそれに3.9ユーロくらいを足した値段が請求されます。
飲み終わったらこの箱をスーパーに持って行けばデポジットが回収できます。瓶と箱が対象なので瓶を捨てないようにしましょう。機械が自動で読み取り、何本か欠けていても、その分少し戻ってくるお金が減るだけですが、瓶がゼロ本で箱だけだと受け付けてもらえないこともあるそうです。
私がオランダを去った時に、多分一番懐かしむのは、この箱を自転車の後ろの荷台に乗せて、さっそうと走って行く若者たちです。背中の後ろに手を回して箱の中央の取っ手を掴み、口笛でも吹きながら悠々と石畳でガタガタする道を進んでいく彼らの軽業には舌を巻きます。考えてみてください。たとえ中身が入っていなかったとしても、瓶と箱だけで相当な重量があり、自転車の後ろの車輪の上のわずかなスペースの上で、腕を後ろにひねって取っ手を抑えただけでバランスを保つのは至難の業だといえるでしょう。オランダ人の自転車運転技術というのは極めて高いのだと、感心せざるをえません。
Kapsalon(カップサロン)
最後は食べ物の話でもしましょう。今日日、世界中どこに行ってもトルコのケバブ屋があるのではないでしょうか。オランダも例外ではなく、ケバブ屋は手軽なファーストフードとして店の数は多いです。
ケバブ屋のメニューはとどのつまりどこの国に行っても大差ないでしょうが、それでもここオランダにはkapsalonと呼ばれる独特な料理があります。とはいっても内容は何の変哲もない、肉の下にフライドポテトがうまっていて、その上にサラダととろけたチーズをのっけたというものですが、名前がユニークです。「床屋」という名前なのですから。
このKapsalon、料理の起源としては珍しいことに、はっきりと考案者が分かっているようです。Nataniël Gomesというロッテルダムの床屋が考案したとされています。この人物が近所のシャワルマの店でいつも自分のお気に入りの材料を使って特別メニューを注文していたところ、他の客もそれを頼むようになり、いつしか彼が床屋だったことからkapsalonという料理名まで付き人口に膾炙したと、ウィキペディアにはそう記されています。
面白いのはオランダ語版では言及がないですが、英語版によるとNataniël Gomesなる人物はカーボベルデ系であるとのこと。カーボベルデ(Cabo Verde)というのはアフリカのセネガルあたりから西に行ったところにある群島で、主に美しいビーチを持つ観光地として有名な場所です。私は、文化人類学の修士号を取って、セネガルなどでも調査をしたことがある人物から、アフリカの太鼓であるジャンベの演奏を教わっているのですが、この記事を書いている今、ちょうど彼からつい先日ロッテルダムにはカーボベルデからの移民のコミュニティがあると聞いたばかりでした。
カーボベルデ――言語的にはポルトガル語の影響を強く受けたクレオールを話すというこの人々。またはるばるロッテルダムまってやって来たカーボベルデ系というのは一体どんな人たちなのでしょうか。このように、オランダで日常よく見かけることについて少し調べて行くとすぐに文化社会的に芋づる式に興味の尽きぬ事柄が掘り出されてきます。
いつかこの辺のことをもう少し掘り下げたいと思いつつ、今日はこれくらいで。またお会いしましょう。