はじめに
みなさま、またもやご無沙汰しておりますライター高橋です。体調の悪化と諸々の事情が重なってしまいまた寄稿が滞ってしまいました。少しずつ再開できたらと思っておりますので、何卒よろしくお願い致します。
今回は最近私自身が取り組んでいたブラームスの作品の中からいくつかご紹介したいと思います。
ブラームスとの出会い
まずはじめに軽くご紹介から、ブラームスはロマン派の作曲家です。ロマン派といえばリストやワーグナーといった所謂標題音楽の作曲者が多数排出されていた時代ですが、ブラームスは標題音楽とは真逆の絶対音楽を追求していた作曲家として知られています。ベートーヴェンから多大なる影響を受けており、そのリスペクトの念から交響曲第1番の作曲にあまりにも膨大な年月を要したというエピソードは有名かと思います。私自身はピアノを専門に勉強しているので、最初のブラームスとの出会いはピアノソナタの鑑賞でした。その時の感想を誤解を恐れず率直に申しますと、やたらと味付けの大雑把なアメリカのお菓子を延々と食べ続けて胸焼けしているような気分になりました。ブラームスは充実した内声による重厚な縦の和声感というのが一つ大きな特徴だと思いますが、幼少期の私はモーツァルトやショパン、ドビュッシーといった比較的軽いテクスチャーを持ったキラキラした作品に憧れを抱いていた私にとってはこのあまりにも圧力のある音楽に耳がついていかず、それ以来ずっと苦手意識を持っていました。ブラームスのピアノソナタはいずれも最初期にまとめて作曲されているので、作風も少し若々しくなっている事もその一因だったのかもしれません。なので、課題として渡された場合や誰かからアンサンブルに誘われたりした時以外は自ら進んで取り組むことはありませんでした。しかし、私のブラームス観を変化させる出会いがありました。
チェロソナタ 第1番 es-moll Op. 38
昨年同期のあるチェリストに誘われて取り組んだこの作品が私のブラームス観を変えた作品になりました。以前にピアノ三重奏曲の第1番に取り組んだ際にも少し感じていたブラームス作品の構築の美しさをより強く実感する事となり、それ以来ご縁もありつつ現在まで継続してブラームス作品に取り組むきっかけともなりました。この曲はブラームスの作品の中では比較的初期に書かれた物になります。第1楽章などは非常に緊張感を持った曲想で往年の大作曲家のような重厚感が見られますが、第3楽章などはもちろん構築的な美しさもありますがやはり初期の作品らしい若々しさや熱狂感も備わっており、その楽曲全体のバランスの良さから個人的には彼の初期の作品の中でも特に傑作だと考えています。
ブラームスの弦楽ソナタは旋律楽器とピアノが完全に対等もしくは構造的にピアノに比重が置かれている作品もあり、お互いのパートの理解度、アンサンブル能力が演奏を作り上げる為に非常に重要となってきます。準備をする際チェロパートとピアノパートの両方を交えて勉強してみると、その構築力とそれによる絶大なる演奏効果の高さに衝撃を受けました。こういったアンサンブル作品に置いて掛け合いの様にフレーズを交互に演奏させる技法はよく使われるのですが、この作品はその意匠が素晴らしく、提示部の山場となる58小節からのフレーズは特にその美しさが見て取れます。
共演したチェリストの音楽性や技量が非常に高く、私自身そのチェリストから様々な事を学ぶことが出来た事や、掛け合いを含めお互いの音や歌い回しに耳を傾けるといった演奏中のやり取りをスムーズに行う事が出来、それによって楽曲の構造への理解をより深める事に繋がりました。他の作曲家の楽曲ももちろん素晴らしい構造を持っていますが、ブラームスの作品は特にその作り込みが素晴らしく、深く追求するにあたってやりがいのある作品が多いように感じます。Youtubeにてヨーヨーマの演奏などが上がっております。そちらをご鑑賞になられてご興味持たれましたらCDや楽譜などお買い求めくださると幸いです。
クラリネットソナタ 第2番 Op. 120-2
チェロソナタは第2番も演奏しているのですが、チェロの作品ばかりになってしまうのも偏りが出るので、今回は割愛させていただきます。さて、次に紹介させて頂くこちらの作品は作曲者自身の手によりヴィオラ版にも編曲されており、チェロソナタとの出会いから今日までの短い期間にどちらの版もご縁があり演奏機会をいただきました。
この作品は先ほど紹介したチェロソナタとはうって変わってブラームスの最晩年、いわゆる後期の作品となります。器楽ソナタとしては最後に書かれた作品でもあり、まさに円熟という言葉がふさわしいでしょう。一般的な3楽章構成となっていますが第3楽章に変奏曲を書いているところから、ピアノソナタ30番などで終楽章に変奏曲を置いているベートーヴェンにやはり強く影響を受けていることがわかります。第1、第3楽章が比較的ゆったりしており、第2楽章が激しい曲想を持っている緩-急-緩的な構成になっていますが、第3楽章のコーダ以外は第2楽章含め曲の山場となるフレーズでも熱狂的な印象はなく、非常に暖かみのある落ち着いた音楽となっております。第1楽章の速度指示はAllegro amabileとなっており、Amabile(愛らしく)といった指示を速度記号として用いることは珍しい為、Allegroのテンポは見失わないようにしつつも特に愛らしい暖かな要素を表現したかったということが見て取れます。中でも終盤のTranquilloは比類なき名場面だと言えるでしょう。
6つの小品 Op. 118
ピアノを専門としているのにピアノ作品以外を紹介しすぎるのもどうかと思いますが、次はいよいよピアノの為の作品です。こちらはクラリネットソナタと同時期の作品で、先ほども述べましたが後期の作品です。ブラームスは初期にピアノソナタ3曲をはじめ、スケルツォやバラード、ヘンデルの主題の変奏曲など集中的にピアノの為の作品を書いた後、忽然とピアノ音楽から離れてしまいました。次に作品が集中しているのがこの6つの小品含めたOp. 116-119と創作時期にかなりのブランクがあります。その間もちろんブラームスは創作活動は行っており交響曲や室内楽曲、歌曲等様々なジャンルを手がけていくうちに作風が変化しています。それにより、ピアノソナタとこれらの小品集を聴き比べると非常に極端な差異を感じ取ることができるでしょう。こう言ったことを述べると真のブラームスファンからは罵詈雑言を浴びせられるかもしれませんし今でこそ素晴らしい作品であると考えますが、ピアノソナタはやはり最初期の作品ということもあり、もう少し作曲時期の遅い他の器楽ソナタなどに比べても少しだけ構成が単調なイメージをどうしても持ってしまいます。これはきっとピアノソナタが問題であるというよりは他の器楽ソナタの完成度があまりにも素晴らしいから起きてしまう現象なのかもしれません。そんなピアノソナタとはうって変わってこれらの小品集はどれもピアノ音楽史に名を残す非常に素晴らしい名作揃いだと思います。中でもこの6つの小品は個人的には特に秀逸な作品とも言えます。
これらの小品集はいずれも歌曲の影響を色濃く受けています。ですのでピアノソナタや変奏曲などという器楽らしい器楽としての音楽と違いカンツォーネ的な側面が強く、規模もそこまで大きな物にはなっておりません。この6つの小品に含まれる作品も短いものだと2分程度、長くても6分もあれば演奏できる物ばかりです。また、特徴として第3番のBalladeと第5番のRomanze以外の4曲全てがIntermezzo(間奏曲)というタイトルになっている事により、タイトルによるバイアス無しに鑑賞することができ、個人の印象を自由に思い描くことができます。特に第2番が有名で、単独で取り上げられる事も多いですが、個人的には第4番と第6番が素晴らしいと思います。曲の内容についてあれこれ書いてしまうと、その文章を読んでしまうだけでバイアスが掛かってしまいそうな気がしなくもありませんが、かと言って素晴らしいだけで済ませると「具体的にどういう点が素晴らしいのかもわからない」と思われるかもしれませんので、ここではあくまで私個人的な解釈だけ記述させていただきます。
第1番はC-B-Aという下降形がバスからのアルペジオ主体の伴奏形と共に波のうねりのように響き渡ります。Allegro non assai, ma molto appassionatoという速度指示になっており、曲の長さがとても短いことからも情熱的に一息で歌い切るような作品となっております。それによりIntermezzoという題ですが、曲集全体の中ではPrelude的な立ち位置の作品となっています。
第2番は曲集の中で最もポピュラーな作品となっており、単独で取り上げられる事も多い作品です。速度記号に用いられているteneramente(優しく、愛情深く)という指示の通り曲全体がやわらかい雰囲気に包まれており、まるで恋人同士の掛け合いの様にソプラノとテノールの2声によるデュエットが穏やかな世界観のもと奏でられます。中間部ではドラマティックなカノンと神秘的なコラールの対比が美しく、とても魅力的な作品に仕上がっています。
第3番はリズミカルな民謡の様な曲調になっています。Balladeと言った題名が名付けられていますが、ショパンなどのBalladeなどに見られる叙情性の高いものでなく、個人的には闘牛やサーカスなどお祭り事にて行われる催しの中からいくつかのモチーフが抜き出されたかの様な印象を受けます。ブラームスの作品にはハンガリー舞曲をはじめとした激情的な作品もいくつか残っていますが、この第3番はそれらの若い時代の作品に見られるその激情的な要素が垣間見えます。A-B-A’と言った構成が取られていて、前半部の終結部ではうまくDurの世界に移ることができたのに対して、終盤の終結部では主調のg-mollによって荒荒しく解決し、中間部にて用いられていたモチーフが哀れみの様に流れてゆき、力尽きていく様な印象を受けます。
第4番はカノンのような形式で書かれており、休符の効果も相乗してPで始まりながらも速度指示のAllegretto un poco agitatoがより緊張感を持って描かれるようになっています。中間部は非常に穏やかで、つかの間幻想を抱いているまるで白昼夢のような情景が広がります。しかし突如その夢心地から引き戻され、Piu Agitatoとなって冒頭のカノンが姿を変え激しく演奏されます。この作品は特に後半部分の構成が素晴らしく、多声部に別れてカノンと伴奏が入り混じって演奏されます。その緊迫した和声も相まってピアノという楽器の持つ表現力を最大限に活かした素晴らしい作品になっています。多声部という点は第2番の特に中間部や第5番でも非常にうまく使われており、この作品の一つの特徴でもあります。
第5番は6曲の中で唯一Romanzeと言ったタイトルが与えられています。その題にふさわしく非常に親しみを持ちやすいF-durの和声に支配されながら、4声体的に曲が進みます。ユニークな主題がバリエーションとして様々に変化しながらメロディアスに奏でられるその音楽は、まるで何かの記念、式典の様に少し厳かで、何より温かみの深い物となっています。こちらもA-B-A’となっていますが、特に中間部にて行われる即興的なモチーフのバリエーションはまるで小さな子供が家族に見守られながらはしゃぎまわっているかの様な愛らしさを感じます。
最後に第6番ですが、Andante, largo e mestoという速度記号が用いられ、冒頭からsotto voceという指示も書かれているなど、6曲の中でも最も悲愴感のある音楽になっています。es-mollの不気味な世界観から始まるGes-F-Ges-Esと言った乾いた雰囲気を持つ主題が形を変えながら永遠に現れる事により、逃れられない恐怖や悲しみの念が渦巻いていきます。中間部ではかつての作品に見られるような重厚な和音、オクターブ奏法によって6曲のうち最も大きな山を迎えますが、 Des-durの属7から解決することができず、再び冒頭のes-mollの世界に連れ戻されます。最後のフレーズでは苦しみを吐露するかのような凄惨なクレッシェンドと共に抜け出せなかったes-mollのIの和音で解決しながら、諦観の如き最後を迎えます。構成美としては先ほど紹介した第4番や第2番ほどでもないような気はしますが、この作品が持つ稀有な不気味さ、また曲集の最後を暗い音楽で締めくくるという全体の構成も含め、当時のブラームスの心情が最も詰まった作品だと考えています。
おわりに
ブラームスの世界、いかがでしたでしょうか? どれも素晴らしい名作揃いなので、ぜひご鑑賞いただきながら読み返して頂けるとより共感していただけるかと思います。体調も落ち着き、生活環境も元に戻りつつあるので、また徐々にではありますが、皆様に音楽の楽しさをお伝えできればと思います。コロナ禍の中ではありますが、コンサート等も各地で徐々に開催されつつあります。それらにもぜひ足をお運びいただけると幸いです。