私がThistle ティスルに初めて出会ったのはナポリの御屋敷でした。今はホテルとして運営されゲストルームに泊まることができますが、目立った改装もされておらずダイニングとリビングが分離している由緒正しい館になっています。写真のようなダイニング(食堂)で朝食ができるのですが、マキネッタ式のエスプレッソを頂きながらインテリアに見とれていると、館の奥様が出てきて「興味があるならグラスとか見る?」と披露してくれたのです。
それがティスルのシャンパーニュグラスでした。驚くことに12脚セットになっていて、他にもロックグラスやウォーターグラスなど様々な形状のものがシリーズで揃えられていました。その奥様は既に高齢ですが、結婚したときに嫁入り道具のように揃えたというのでまた驚きです。
子供達が自立してナポリから出ていってからはもう誰も使わないけどね、と少し寂しそうに語ってくれました。帰り際にグラス欲しい?と聞かれましたが、私の家で12脚揃えてお客様を迎えることは難しいのでそっと断りました。
サンルイ クリスタルについての解説 https://otonaninareru.net/saint-louis-crystal/
それから数年後に日本のアンティークショップで見かけてティスルを2脚買ってから、ずるずると買い増しをして今ではサンルイの金彩グラスが数え切れないほどにキャビネットに収まっています。家にリビングとは別に食堂があって、料理人と使用人が居る家庭のためにティスルがあるというのは理解していますが、それでも憧れとして一脚ずつ集めてしまうのがサンルイの魔法です。
Saint Louis Crystal – Thistle サンルイ ティスルとは
名前の通りThistleティスル=アザミ(薊)を意味しています。ティスルはアール・ヌーヴォー運動の絶頂期にあった、1908年のナンシー展のために制作されたコレクションです。かのエミール・ガレを始めとした支持者たちがナンシー派と自称して活動をしていましたが、その集大成として開催されたのが、ナンシー展です。
2014年でティスルは100周年を迎えましたが、面白い話があります。もともとティスルはChardonシャルドンというシリーズ名であったそうです。Carduusはラテン語でアザミ、そこからフランス語ではCardoon、Chardonと派生していきました。ちなみにCardonnacumはラテン語でアザミのある場所を意味します。これはブルゴーニュ地方のシャルドネ村(ソーヌ・エ・ロワール)の名前の由来と考えられていて、有名なシャルドネ葡萄品種を指すようになったともいわれています。そのシャルドンがなぜティスルに変化したと思いますか。勘の良いリナシメント読者であればピンと来るかもしれませんが、アザミはスコットランドで紋章のバッジとしても用いられています。実は1904年の英仏協商の影響を受けて、後にティスルと英名に改名されたといわれています。英仏協商の原文であるEntente Cordialeは直訳すると「友好的な相互理解」になります。グラスの名称変更が植民地政策の対立解消に寄与したかは別として、フランス製品に英語名がつくというのは当時なかなかのインパクトがあったことでしょう。
サンルイ ティスルの技法
技法としては吹き上げて作られたクリスタルガラスをカッティングした後に滑らかに角を落とし、彫刻した部分に金彩の粉を手作業で塗りつけメノウを塗り焼成します。
グラスの透明感と滑らかさは他のどのブランドとも似ていないユニークなものです。上部の古典的なモチーフはエッジングだと思われますが、底部のウロコ状はカッティングのあとに研磨で滑らかに処理されていると想定されます。この技法はバカラのグラスには余り見られないもので、光の屈折が複雑になり美しいです。
グラス底にはたっぷりとガラスの厚みが確保されていますので、安定感が増してリッチな印象を受けます。写真はありませんがバカラのナンシーというグラスも1908年に発表されたシリーズですが、それは縦と横の連続したカッティングが特徴です。今でこそ滑らかな処理になっていますが、1990年代まではグラスが薄く、角の立った鋭利なものでした。
同じアールヌーヴォーをモチーフにしたグラスでもバカラとサンルイの方向性の違いというのがグラスに出ています。
上部のタッチは非常に雑です。これは製造時期や彩色をする職人によって異なります。
また、恐らくですがオーダーした人によっても仕上がりは異なったことでしょう。爵位のあるような貴族階級から数百ピースをオーダーされた時と、一般人向けに店頭に並べるものと違いがあるのは当たり前です。私が入手したグラスはササッと手塗りで仕上げたような品でした。それが悪いわけでなく、何個も集めていると個性があり同じティスルでありながら様々な仕上がりを楽しめるのです。
これはガラスが厚くてぼってり、これは薄くてタッチも丁寧。お酒を飲みながら手元のグラスの仕上がりでも楽しめます。
サンルイのグラスや花瓶を数えきれないほどコレクションしてきましたが、グラスの中の美しさも楽しみ方のひとつです。自然光や照明の光が屈折して万華鏡のような鮮やかさを見せてくれます。それと共に音、指で弾いたときに金管楽器のような高い音を聞くこともできますし、無理に弾かなくても氷を入れてゆっくりウイスキーを愉しめば溶けた時にグラスに当たり一瞬の演出をしてくれます。ロックグラスをグルグル回すのは野暮ですが、そうしたい気持ちも分かります。
下の写真は同じくサンルイの花瓶の中です。透明度が高くコントラストが引き立っていますが、花を活けていないときでさえ美しいのです。
ついでにサンルイのグラヴィール彫刻を施したグラスも紹介してみます。
こちらはヴィルジニアというシリーズで1930年から最近まで作られていましたが、グラスの表面にグラヴィール彫刻で草花が描かれています。有機的な曲線と共に、エッジングの深さによって陰影を作りだしています。
日常的に使っているので金彩は剥げてきていますが、それでもガラスの輝きは衰えません。
金彩のグラスというのは美しいですが、他人にはお勧めはしません。その理由が一つ所有してしまうと、次々と揃えてしまいたくなるからです。キャビネットに金の縁のついたグラスが何十個も並ぶまで時間はかかりません。もし予算と収納場所があり、大きなダイニングテーブルを持っていたら12脚ずつ揃えて代々に渡って使いたいほどです。
今では一部のオーセンティックバーや高級レストランでこっそりと使われているサンルイですが、サンルイの沼に沈んでしまう覚悟があるのであれば初めの一脚を手にするのも良いかもしれません。(はっしー)
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