服を選ぶのは難しいことである。
そのときはそれが最善の着こなし、服選びだと思っても、数日もすればそれが今世紀最大の過ちだったように感じられることもある。
なぜそのようなことが起こるのだろうか?
一番大きな理由は、私たちがまだ自分にとって究極の着こなし、服装にたどり着いていないからである。
それでは、どうして自分にとって究極、最高と思える着こなしにたどり着けないのか? それは主には、経済的な制約があるからである。
それでは逆に、経済的に非常に余裕のある人々はどうだろう。彼らは好きに、好きなだけ自分の欲しいものを手に入れることができる。ということは、彼らの方が「究極の服選び、着こなし」にたどり着くのが早い可能性はおおいにありえる。
そこで今回は実際の例に基づいて、富裕層の服選びを研究してみよう。
「お金持ちは同じ服を2着買う」は本当なのか?
世界中の富裕層の定番であるKiton キートンのネイビースーツ
あるいはこのようにもいう。お金持ちは同じ服を何枚も買い、そればかりを着る。確かにIT界のカリスマには、同じような色のTシャツとボトムスを何枚もそろえ、服装を考える時間を短縮している人が多い。
しかし私たちが研究すべきなのは、世界の0.01パーセントも満たないカリスマではなく、例えばロンドンの5つ星ホテルのラウンジで見かけるような身近な富裕層である。
果たしてこのような人々も、同じ服ばかり買っているのだろうか?
答えは半分イエスである。
著者の知人でいくつもの飲食店を運営するY氏は一着数十万円のスーツを一度に何着も誂えるような人である。彼はいつも同じようなネイビーのスーツやジャケットを仕立てる。彼にとっての同じ服とは「ネイビーのジャケット」である。
もちろんその時々で生地も違えば仕立て屋も違うので、同じものではない。
しかし彼は自分にとって一番手に取りやすい服がネイビーのジャケットだとわかっており、だからこそ何着も似た服を作るのである。もちろんその境地にたどり着くまでには、数々の柄ジャケットやベージュやブラウンのジャケットを仕立ててきたという。
誰もが知る大企業の役員であるH氏は、スーツと靴をいつも美しく合わせてコーディネートしている。彼はいつも同じジョンロブの靴を履いているので、それしか持っていないのかと茶化して聞いたことがある。すると彼は同じ靴を6足持っているという。
このときの彼の考え方はこうである。ぴったりとくる靴を見つけるまでに、それなりの時間と金銭を投資している。しかしやっと見つけたその靴はもちろん消耗品であり、またブランドの都合で急に廃盤になったりモデルチェンジしたりする可能性がある。
ということは、複数まとめて購入しておいた方が彼にとっては都合が良いのだ。同じようにシルエットの気に入ったトラウザーがあれば色違いを何着も買ったりする。
金持ちは同じ服を何着も買う、は間違いではない。しかしそれは単純に同じ服しか着ない、ということではなく、彼らなりの考えがあってのことなのである。
富裕層はエルメスと、昔エルメスの下請けをしていた○○社 どちらを買うか?
Hermes エルメスの代表的なブリーフケース「サックアデペッシュ」27cmの小ぶりなモデル。
さて、巷には様々なブランドが存在するが、イタリアのブランドの多くが謳い文句にしているのが「〜の下請けをしていた実力派ブランド」というものである。
例えばヴァレクストラは、天下のビッグメゾンであるエルメスの下請けとしてバッグを手がけていたことで有名だ。また直接手がけていなくても、エルメスと同じレザーを使用したブランドや、エルメス風のデザインを採用したブランドは山ほどある。
そこでよく言われるのは、こういうことだ。
「エルメスを作っていたのは○○であり、そちらでは値段が半額以下だから、本当にお洒落な人はそこで買う」
しかし実際にはどうだろうか。
富裕層の持っているバッグを見れば、圧倒的に多いのはやはりエルメスである。
それには三つの理由がある。まずはエルメスの方がブランド力があることである。次に経済的に制限のない富裕層が、能動的にエルメスの下請けをしていたブランドを調べる必要がないからである。
エルメスのようなバッグが欲しいと思ったときに、それ以外のものをあえて調べるのは、経済的に買えないかもしくは色やレザー等に不満があるかのどちらかだ。厚手のレザーを使い、職人技で手縫いさえ用いつつ製作するエルメスのバッグ。他のラグジュアリーブランドに比べて高いクオリティを維持するエルメスに品質的不満のある人は少ない。そこで、彼らは欲しいと思いついたエルメスを買うのである。
最後に、本家のデザインが最も優れているからである。
最近ではイタリア在住の日本人が展開するブランドを含め、多くのブランドがメンズ専門バッグブランドとして知名度を上げている。しかしそのデザインの多くは、エルメスの再解釈だ。
バーキン、サックアデペッシュ 、ボリードの3つはもはやメンズバッグのオリジンといっても過言ではない。
そしてそのバランスは完成されており、シンプルにしたりディテールを変えてみたりはするものの、結局オリジナルが一番美しいことが多いのである。
またある意味そういったブランドに比べれば大量生産品であるエルメスは、品質も安定している。いわばハズレがない、ということで彼らはあえて類似したデザインの別ブランドのバッグを(惚れ込みでもしない限りは)買おうとしないのである。
お金持ちは服を使い捨てるのか?
丁寧に履き込まれたJohn Lobb ジョンロブの靴
次に気になるのは、富裕層が服を使い捨てるのかという点である。
レディースに関しては残念ながら、使い捨てられる場合も多い。ハイブランドを身につける彼女たちにとって大切なのは、ブティックやパーティに招待されたときに、最新のコレクションで全身がコーディネートされているかどうかという点である。
これは噂などではなく、実際にそのような女性が多いのを目の当たりにしている。
そしてそのコレクションが古くなったとき、彼女たちはその服をどうするかといえば、良くて二束三文でフリマアプリや買取店で売るのである。人によっては、あえて捨てるのだという。そのような場合には自分が買ってきた服を他人が着るのを許せないから、という理由であることが多く、本物の富裕層に見られる。
女性にとってファッションは服でもあるが、行けば黙ってVIPルームに通されシャンパーニュを出されるという慣例のようなものでもある。
それに対してメンズは基本的に成金的なセンスの人でない限りは、買ったブランド品をすぐに処分するのではなく、比較的長く使えるものを選び、使えなくなる、もしくは「見栄えがしなくなる」まで使って処分することが多い。例えばスーツであれば体型が合わなくなったとき、革靴であればアッパーに多くのひび割れが発生したときなどだ。
スマートカジュアル、すなわちジャケットスタイルを好む富裕層は極端なまでに物持ちが多いことも多い。
上場企業役員のK氏は自分の靴を自分で磨き、シャツは信頼のおけるクリーニング店に自分で出しに行くという。これは生活習慣であり、およそ気分転換に近いものだという。特に靴を磨いている最中は、非常によいリフレッシュになるというのが彼の言葉である。
もちろん全員が全員そうというわけではない。
これはその人の服装への造詣の深さにもよる。ルイヴィトン等のPVCの財布しか使ったことのなかった人がベルルッティの財布を使うとすぐに水染みを作ってしまうのだ、とベルルッティのスタッフが嘆いていたのを聞いたことがある。
しかし富裕層で服装にこだわる人であれば、基本的には物を大事にするといって問題ないだろう。
「お金持ちは派手な服装をしない、シンプルな服を着る」は正しいか?
ほとんど成金センスの人への軽蔑を込めたような形で、このようにいう人がいる。本物の富裕層は派手な服装を好まず、シンプルな服を着る。ということである。
確かに旧来の富裕層や、多くの社員を持つ会社の社長などに関しては、この法則は当てはまりやすい。それは自分が世話になっている人が星の数ほどいる世界で、自分だけが派手に振る舞うことがどれほど危ないことかを理解しているからである。
つまりそれはシンプルな服を好んでいるというよりは、「立場をわきまえている」と言った方が適切かもしれない。
しかし考えるべきなのは今、実に様々なタイプの人が富裕層になっているということだ。ユーチューバーも投資家も、資産をなせば誰もが富裕層になることができ、しかもSNSの普及もありその様子が比較的人の目に触れやすい時代だ。
つまり一言に富裕層といっても、やはり派手好きの人もいればシンプルを好む人もいる。
しかし東京にこれだけ多くのスーパーカー…水色や黄色のランボルギーニや縦線の入ったフェラーリ、ラッピングを施したマクラーレンやアストンマーティンがいることを考えれば、派手好きの人も多いと言わざるを得ない。
では私たちの目指しているエレガントな富裕層に焦点を当てたらどうだろう。例えばローマのフォーシーズンズホテルに出入りする紳士たちの服装に注目してみよう。彼らはノーマルで控えめな高級車に乗り、ジャケットとトラウザーを着用し、革靴を履いている。
何を持って派手とするかは難しいところだ。彼らはベージュのジャケットをストライプのシャツと合わせていることもあれば、ネイビーのスーツを白シャツで着ていることもある。
確信を持って言えることは、彼らが常にエレガンスの最低ラインを下回らないこと、そしてシチュエーションに合わせて服装を変えていることである。
まず休日であってもTシャツと短パンで出歩くことは少ない。それは服装が彼らの行動を制限する可能性があるからだ。家から出かけてから高級レストランに行くことを思いついた時、襟がなければ一度家に帰らなければならない。シャツを着ていればどんなレストランでも、クラブでも、とりあえず入ることができる。
また、彼らがビーチで紺スーツを着ることはない。もちろんこれは極端な言い方だが、注意して欲しい。例えばグレー基調の東京のオフィス街で色とりどりのネクタイやスカーフを駆使したジャケットスタイルをすることはなく、重要な仕事でゴルフシューズのような外羽根Uチップを履くこともないということだ。
富裕層に習うなら、まずは上質&ベーシックなものを少量
ドイツの王子やナポレオン・ボナパルトの子孫もスーツを仕立てるイタリアのサルトリア・チャルディで、高級生地で仕立てたジャケット
それでは実際に自分の着こなしを改善していくとして、彼らの服装に学ぶことはあるのだろうか。
経済的に制限のある私たちができることは遠回りを避けること、すなわち無駄な買い物をできるだけ減らして、誰もがたどり着くベーシックを先に捉えることである。
例えばキートンやチェザレ・アットリーニの紺無地スーツ、エルメスのブリーフケース、ジョンロブのストレートチップ。もう少し予算を削るのであれば、ベルベストの紺無地スーツに英国老舗レザーブランドのブリーフケース、クロケット&ジョーンズの靴でも良いだろう。
あまりにもつまらなく思えるかもしれない。しかし一度このように定番を持った後に自分のテイストを広げていくことで、常に一本軸の通った着こなしができるようになるはずだ。