もうすぐ2020年になる現代にいたっても、中世の時代から同じように使われている”ガラス”。形も素材も大きな変化を見せずに世界中で毎日使われていることを考えると、もっとガラスの偉大さについて触れられても良いと思うのは私だけでしょうか。
さて、ガラスというのは主に珪砂(けいしゃ)と呼ばれる石英の粒、そこにアルカリ性酸化物のソーダー灰(植物の灰など)もしくはカリを加えて熔解窯に入れることで作られます。添加物によって溶けやすさや特性が異なりますが、古代ガラスの製法を別とすればガラスは2000年前から現代まで殆ど同じ製法で作られています。
始まりはコア・テクニックによって作られた
厳密にいつからガラスが発展したのかは定かではありませんが、少なくとも紀元前5000年前には西アジア(シリア)でガラスが作られていたと推測されています。しばしエジプトがガラスの発祥と思われていますが、実際にはエジプトは紀元前4000年前までしか特定できておらず、シリアのとんぼ玉が最古とされています。
しかし当時は「コア・テクニック」という現在とは違う煩雑な製法で作られていたためガラスを作るのは難しく、希少で大きな形のものが作られることはありませんでした。コア・テクニックとは、金属の棒に器の形のコアをまきつける方法です。コアは珪砂だけでなく粘土や麦藁などが練り込まれて形成されていました。
次に熔解したガラスに棒を浸りたり、巻き付けて平らな石の上で形成して、最後に中央のコアを掻き出して作られました。現代のガラスと比べて不純物も多く、不透明で”着色された石”のような外見でした。中でも色彩豊かな古代ガラスは宝石や貴石の代替品として使われていたそうです。
エジプトで発展を遂げるガラス
ファラオ・トゥトメス3世(紀元前1504~1430年)の名前が記された3つの小さなガラス容器が出土してロンドン、ミュンヘン、ニューヨーク美術館に保管されていますが、エジプトにおけるガラスの発展はこのファラオの近東遠征の際に捕虜である近東のガラス工をエジプトに連れられたことから発展したとみられています。実際に出土したエジプトガラスの一部は日本の古物店でも流通することもあり、鳥の形を模していたり、継ぎ合わせの2~3cmの小瓶であったり、実用性よりも宗教性または美術的な目的で作られていたと思われます。その後エジプトの新王朝が混乱期に入り、崩壊していったころにはガラス生産も衰退してゆき表舞台から消えることになりました。
一方で近東では紀元前9世紀頃からシリアとメソポタミアを主体にガラス製造が復興して、そこから地中海、黒海、エーゲ海とエジプトの技法ににたガラス製造が広まりました。
紀元前7世紀頃にはコア・テクニック以外のガラス製造方法も編み出され、ガラスの塊を削り出したり、モザイクガラスといい別のガラスを繋ぎ合わせる技法も誕生しました。紀元前3世紀になるとギリシャやイタリアにも技術が広がり、この頃には早くも模様が装飾されたり、カットが施されるガラスも製造されるようになりました。イタリアのカノッサで出土したガラスの中に、ゴールドサンドウィッチと呼ばれる2枚の薄いガラスに金箔を挟むという装飾をされたガラスがありましたが、装飾に関して新しい技術が次々と出てきました。
日本でも縄文時代(紀元前14000年頃 – 前4世紀)には縄文土器のような装飾を施された土器が作られていましたが、写真のような現代にも通ずるような外観のガラスが紀元前から作られていたというのは驚きと言えます。
紀元後は技術革命で吹きガラス(ローマンガラス)が主流に
紀元前1世紀の終わり頃から技術革命が起こり”吹き竿”が発明されました。この吹き竿は画期的なもので21世紀の現在まで2000年近く同じものが用いられているのです。金属の管状の竿のさきにガラスを取り付けて息を吹き込むことで、薄い半球状のガラスを膨らませることができるようになったのです。
これによってガラスの技術革命が起きて、過去のコア・テクニックなどの技術は廃れて、短時間で大量生産が可能になりガラス製品の価格も急激に安くなり大衆が手に入れることができるようになりました。複雑な造形を作ることも可能になりゴブレットやグラス、化粧瓶、香水瓶、ワインの器などが作られるようになりました。スペイン、ベルギー、オランダ、スイス、イギリスでも工房が広がり貿易も活発になりました。この吹きガラス作り体験は現代でも日本全国様々なガラス工房で体験でき、着色ガラスや無色透明なガラスを自分で作ることも可能です。
ローマ帝国の衰退と時代の変移
ローマ帝国の東側では地中海沿岸に位置するエジプト・アレクサンドリアが主要な産地として製造され、かの有名なウェッジウッドの壺のモチーフにもなった「ポートランドの壺」もこの時期に製造されたものと推測されています。2世紀の終わり頃にはアレクサンドリアでは着色や色被せグラスに変わって透明なガラスが主流になっていきました。透明なグラスにカッティングを施すのは、この時代から始まったといえます。4世紀のコンスタンティノープルが首都となり、ローマ帝国が分断された頃からガラスの生産も衰退してゆきます。
ドイツやイギリスでもガラスが製造されるようになりますが、10世紀頃まではローマ時代の製法や伝統が根強く引き継がれることとなりました。
ルネサンスと共にヴェネツィア・ガラスが舞台の主役に
12世紀末から13世紀にかけてヨーロッパのガラス工芸は少しずつ発展してゆきます。十字軍によりオリエントとの文化交流を復活させたことがガラスにも影響を与えることになりました。特にシリアのエナメル彩ガラスは、その後のイタリアのガラスにも影響を与え、地中海の交流やギリシャの職人の移民を通じて独自のガラス文化に発展するまでに至りました。16世紀にはヨーロッパの思想、文化はルネサンスによって大きな復興がなされました。
特にヴェネツィアはイタリアにおける美術や文化の中心地で、東洋貿易によって独自の芸術性も形成されました。
ヴェネツィア・グラスの技法は流動的で詩的な雰囲気を持つヴェネツィア派の絵画と様式が似ています。
16世紀初めは単純な動物のシンボルや紋章を形どった透明なグラスが好まれて、それからグロテスク様式をモチーフにした作品や、古典的な技法を用いたミルフィオリ・ガラスが復活しました。今でもヴェネツィアンガラスというと、金太郎飴のようにどこで切っても同じ柄が出てくるミルフィオリガラスをイメージする人も多いはずです。
他にもダイヤモンドポイント技法という、点描のように小さな力でガラスに押し付ける彫刻技術が生まれ、ヴェネツィア・ルネサンスでは高度な技術が確立されたことが分かります。その後、ヴェネツィアからドイツ、フランス、オランダ、スペイン、イギリスなどイタリア人のガラス工達がヨーロッパ各地に離散してゆきます。17~18世紀になるとルネサンスがアルプス北部にも影響を与え、森林ガラスが生まれることとなります。森林ガラスとは名前の通り森の中で作るため、素材を自給自足できて、低価格で大量生産できたことからそう呼ばれます。材料を未洗浄のまま利用したため、大抵の場合は緑がかっていたそうです。主な産地では、ドイツ北部のホルシュタインやボヘミア・バイエルンなどの森林地帯、オランダやフランスの森林地帯でも盛んに作られました。
現在でも有名なブランドである、サンルイ・クリスタルは1586年フランスのストラスブールやナンシーにほど近い、ロレーヌ地方のモゼル県に設立されました。フランスの田舎と言うと、のどかな平原をイメージしますが、このサンルイの工房がある村は平原どころか荘厳な森林と岩肌に囲まれた自然公園の中心部にあります。
フランスは現代でこそブランドのガラスに関して強い影響力を持ちますが、中世では他国に遅れを取っている面もありました。ボヘミアングラスは一足先に古典的なカッティング(グラヴィール装飾)に回帰します。グラヴィール装飾は回転させた金属や石などにガラスを当てて彫刻を施す技術です。同時期にエナメル彩で装飾されたガラスも多く作られ、宮廷献上品や貴族の家紋など上流階級に向けて製造されました。
イギリスでクリスタルガラスが誕生
鉛が含まれる透明感の高いクリスタルガラスは、1670年代にイギリスで発明されることになります。ヴェネツィアからイギリスに渡ったジョージ・ラーヴェンスクロフトという職人が宝石のイミテーション作りで使われていた鉛から着想を得て、煙によるガラスの混濁を抑える透明なガラスの製造に成功しました。オランダも影響を受けて他国もクリスタルガラスを製造するようになりました。フランスはシャンデリアのパーツを切子と研磨によって作り出したり、新しい技術が確率される時代でもあります。1742年にはスウェーデンのスモーランド州の森林に「コスタボダ」。1764年にはフランス王ルイ15世により、ロレーヌ地方のバカラ村にガラス工場設立が許可されます。バカラがクリスタルガラスを製造するのはイギリスより遅く1816年になってからでした。
後期ルネッサンスに開花し、ボヘミアやドイツではバロック様式を施したグラスが作られます。ボヘミアグラスは、ドイツのマイセンの陶器を模して作られたり、様々な分野の様式を取り入れて作られました。陶磁器で有名なドイツのザクセンはボヘミアと盛んな交流があったと言われています。
18世紀になるとバロックからロココの影響を受けた作風に移り変わり、人物や植物など有機的な絵をモチーフにしたカッティンググラスが作られます。更には黒エナメル彩ガラスがスイスやドイツで生まれ、ガラスに黒い着色で絵を描いた作品が残されています。19世紀にはボヘミアの着色ガラスが再度ブームになり、赤や緑など一度は廃れた色ガラスが再び作られます。
着色ガラスにカッティングを施したものや、エナメルで絵を描いたもの、厚い金彩を施して絵付けを行ったものなど技術的にも芸術性も高い作品が続々と生み出されます。風景だけでなく、紋章や歴史的な場面を描かれた作品など多岐にわたります。
アメリカ、イギリス、フランスで型押しガラスが作られる
芸術性の高い作品が作られた一方で、大量生産の安い型押しガラスもアメリカを始めとして数多く作られました。紀元前には既に知られていた方法ですが、型にガラスを流し込み型を外すと形成される方法でカットグラスを模倣するものありました。
その後、19世紀には古典的に回帰したりバロックの復興がイギリスのウィリアム・モリスによって提唱され、古代ギリシャや古代ローマにルーツを求める芸術運動が活発化して、ガラスもその影響を受けました。
そこからアール・ヌーヴォーへと遷移して、被せガラスや酸化腐食彫りで有名なかのエミール・ガレが先駆けとして影響を与えます。ドームナンシーやエミール・ガレ、アメリカのティファニーなどもアール・ヌーヴォーのガラスを数多く残しています。
20世紀初頭にはフランスの有名なガラス工であるルネ・ラリックに代表されるような、アールデコに移行してゆきます。フランソワ・コティなどガラスと香水瓶が強い関係を得ました。サン・ルイとゲラン、バカラなど香水とガラス工房との駆け引きが21世紀まで続きます。
概要だけ簡略的に触れてみましたが、紀元前はシリア発祥からエジプトに、紀元後はローマからヴェネツィア、ボヘミア、フランスなど材料が手に入る森林を中心にヨーロッパの様々な場所で作られたというのがガラスの主な歴史と言えそうです。美術館の片隅に置かれているガラスを見かけたら、時代や様式を意識すると新しい楽しみが見つかるはずです。
参考文献:ヨーロッパのガラス/岩崎美術社