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【書評】フィレンツェの職人たち

ブックオフで270円で売られていた、朽見行雄著・『フィレンツェの職人たち』(講談社、2007年)を読んでみました。本書の発行日は2007年なのですが内容は1993年12月の、JTBパブリッシングにより刊行された『フィレンツェの職人たち』を加筆、再編集したものです。

イタリアはEU加盟により2002年より法定通貨がユーロに変更されましたが著者が最初に旅行したときはまだ「イタリア・リラ」が法定通貨でした。そもそも1999年までユーロが導入されていないので、独自の通貨があった時代です。日本がバブル景気だったということもありますが、レートも日本円が有利で物価は体感的に日本の1/3ほどで買い物ができたそうです。

職人が激減する最後の時代の本

本書は1990年前後に旅行したときの取材が中心になっています。取材できるまでの経緯も紹介されていて、途中まで「なんですぐ会わないんだろう?もどかしいな」と思っていましたが、昭和末期に書かれたものだと気づくと合点がいきました。
イタリア人というのは未だに英語を話せる人が少なく、ローマやミラノならまだしもトスカーナ地方に行くと「Apple」「Wine」「Reservation」が理解できないようなイタリア人が多数います。さすがに2000年を過ぎてから若者のほとんどが英語を話すようになってきましたが、2020年でも年配の人は英語が話せません。

また当時はインターネットが民間に普及しておらず、携帯電話もほとんど全くといって良いほどに存在しない時代でした。となると現地の協力者によって紹介してもらう他ありません。本書に出てくるマエストロ(職人)は当時70~90代の人が多く、第二次世界大戦後の激動の時代を乗り越えてきた話が書かれています。
戦争孤児が孤児養育院や教会に引き取られて、そこで教育や仕事の技術を教えられたといった話も途中で出てきます。本書が執筆された1990年前後でさえ、60~70年代と異なり職人が激減していると書かれているので、職人が存在した最後の時代といっても誇張ではありません。

機械化による大量生産が主流になっている中で、ある職人の一人は「お金を稼ぎたい人は機械を使う、納得できる良い仕事をしたい人は手作業で行う、お金がすべてではない」と人生観と仕事について触れていました。
中でも心の琴線に触れた言葉は「どんな仕事でもPASSIONE(パッショーネ)が大切」つまり仕事に対する情熱が大切といっているのです。郷土や文化、伝統にたいする愛と技術の継承、これこそがフィレンツェの職人のAnima(アニマ)といえそうです。

今のフィレンツェにもマエストロは存在するのか?

工業の機械化や、大企業の買収、移民や観光産業へのシフト、職業の多様化、無償での丁稚部の禁止など様々な要因によって、職人と呼べる人はすっかり減ってしまいましたが、それでも21世紀でもフィレンツェの職人はいくらか存在すると思います。
一つの理由が新しいものをすぐに受け入れない体質だからです。逆をいうと昔からのものを大切にしています。

本書でも指摘がありましたが、イタリアでは歴史的な建物を古いからといってすぐに取り壊したりしません。日本は木造建築が主流だったこともあり地震や戦争の空襲、大火災などに多くの建物が消失しました。それに西洋文化への強い憧れからか、十分に使い続けれる日本家屋も分譲マンションの等価交換や現在風な洋風住宅に立て替えてしまいます。
明治前まではタンスは世代を超えて受け継がれる「家財」でしたが、今では大量生産の家具ばかりが普及してしまい、100年持つような家具はめっきり見なくなりました。住宅事情もあり狭い部屋に住むことにも要因のひとつに含まれます。

話が少しそれてしまいましたが、イタリアでは住宅も家具も良いものは長く使うということが当たり前になっています。石材によって建物が作られているということもありますが、象嵌細工の家具なんかも古くなってくすんでしまえば、家具修理業者がやすりでゴシゴシ削って路上で再塗装するのなんか日常茶飯事です。修理をしている職人はいまだに存在します。
服や靴、時計なんかは未だに輸出で人気ですし、彫金細工などもポンテ・ベッキオを中心に残っています。大理石細工はいささか少なくなりましたが、その場で調香してくれる「薬局」と名のついた香水商は2020年時点でも実在しました。

日本の職人はどこに行くのか

巻末に書かれていますが、日本は戦後に和洋折中様式を受け入れたために今までの職人がどんどん不要になっていきました。日本の場合は機械による自動化でコストを下げて精度を上げることを美徳としてきたことも影響しています。
美術展などでは日本の職人を褒め称えて、いかに日本が素晴らしいか自画自賛するテレビ番組も作られていますが、いざ室内を見渡すと誰も漆塗りの汁椀を持っておらず、欄間どころか畳の一枚もなく、竹細工も陶磁器のひとつも持っていない家庭ばかりです。着物や三味線などが細々と続き、意識の高い家に新潟燕三条の金物がある程度です。このように生活に根付いていない職人は、内需がないので徐々に仕事がなくなり技術も失われていきます。

これらは手作業で高価なので誰しも手に入れるのは難しいです。しかし、お金持ちになっても北欧の無機質なデザインに数百万円支払ったり、億万長者でもバスキアの抽象画に100億円払ってしまう乏しい感性しかないのです。

本書のあとがきから一文を引用してみます。

結局日本人はこの先も狭苦しい家で、なんとなく華やかで無国籍の、なんとなくモダンだけれど出処不明な生活空間の中で生きていくことになるのだろうか。

朽見行雄著・『フィレンツェの職人たち』(講談社、2007年)

内容(「BOOK」データベースより)

時の権力者に愛され、世の賞賛を浴びたルネッサンス期の芸術文化。伝統を重んじるフィレンツェの匠たちは、その世界最高峰の業を後世に伝えるため、数世紀を経たいまも当時と同じ手作業による工程で芸術品をつくり続け、その作品は世界中の人々に愛されている。伝統工芸にひたむきな愛情を注ぎ、技朽を凝らしたデザインと優美な感性で世界をリードする職人24人の人生観に触れたとき、私たちが忘れてしまいがちな「本当に豊かな人生」を目の当たりにする。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

朽見/行雄
1934年、北海道に生まれる。日本装飾美術学校講師。1959年、NHKに入局。北見、本部報道局、名古屋、京都、大阪、ラジオ・センターの番組プロデューサーなどの勤務を経て退職。フリーのジャーナリストとしてイタリア各地を取材(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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