おはようございます、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。
今日は朝から元気よく記事を執筆するといたしましょう。大抵この時間から執筆する際のは、朝と呼ぶにはあまりに悲惨な徹夜明けのひとときか、もしくは何か大きな罪悪感によって突き動かされたときなのです。しかし今日はそんなことはありませんよ。単純に昨日休んだツケを払っているだけです。
毎日夕方になると怒号のごとく電話をかけてくるナポリ人たちが、まるでふと休戦協定を結んだかのように、日曜日は静かになる。夜中の「Ciao 何してるの?」「とてもよく寝ていたよ、君が電話してくるまでは」「へえ、寝てたんだ!」のくだりどころか、Ciaoの一言もなくなるのです。
今日の夕方にはまた雑談8割の電話がかかってくることでしょう。本当に冗談などではなく、18時ぴったりに三人から電話が掛かってくることがあるくらいなのですから。
さて、今回はナポリ現地の生活を紹介する記事の続きです。例によって、ほどよくゲーテのイタリア紀行を意識して執筆することと致しましょう。
ナポリの電車と鉄道
その日は、朝目覚めるとパラパラと雨が降っていた。
それはうら若き乙女の嘘泣き程度の小雨でそれも降ったり止んだりしていたが、それもつかの間のことで昼前にはすっかり晴れた空に古い教会の鐘が鳴り響いていた。
その晴れた空の清々しさといえば、まるでフィアンメッタとの幻想的な恋に破れ、恐るべきペストの暗黒時代を体験したボッカチオが、あの生命力と瑞々しい人間らしさ溢れる歴史的傑作デカメロンを書き終えた1353年のようだった。それは新たな時代の始まりだったのだ。
しかしそのときナポリ中央駅では、もう一つの暗黒時代が始まろうとしていたのである。例の小雨が「何らかの致命的なダメージ」を線路に及ぼしたらしく、全ての鉄道が上から順番に180分、160分と遅延している始末であった。
その致命的なダメージとは、私の予想によれば「線路が濡れた」もしくは「車掌の服が濡れた」である。カゼルタに行くには鉄道より馬の方が便利だということを私はそのとき理解した。
それに比べナポリの地下鉄は、実は意外にしっかりとしている。
例えばローマの地下鉄が見るも無残な落書きで地の底から現れた幽霊のような車両であるのに対し、ナポリの地下鉄は常に清潔で傷一つない。
ナポリではCCTVが設置され、スリどころか地面に落ちた10セントを拾うだけでポッジョレアーレの刑務所行きになると評判である。
また老婦人が入ってくれば、誰かが必ず手を取って席を譲るのだから、関心してしまう。世界で最も親切な国と言われる日本でも、山手線で席を譲っている風景は稀に見る野鳥のようなものである。
丘の上ヴォメロ地区の中心地ヴァンヴィテッリで降りるときには、必ずといって良いほど乗車券をチェックされる。キセル乗車をした不届者はこってり20ユーロを絞られて、これなら20枚切符を買った方が良かったと思い知らされる仕組みである。
何年も前に開通するはずだった地下鉄の駅DUOMOが、未だに工事中である件もナポリ人を責めてはならない。地下鉄を作ろうと掘れば掘るほどギリシア時代の遺跡が出てきてしまい、一向に工事が進まないのである。
これはどちらかといえばアゴラ(広場)ばかり作ったギリシア人の責任であるし、工事の中断も一概に悪いこととも言えない。
なぜなら2000年後に、人類はそこに偉大な博物館を作るはずだからである。『5000年前の石造遺跡と2000年前の地下鉄工事現場の遺跡が同時に見られる類稀なる世界遺産』という名前になると予想される。
ネクタイの老舗マリネッラの目の前ヴィットーリア広場でも、地下鉄「リネア6」の駅が建造途中である。また海岸沿いのリビエラ・ディ・キアイアの行き止まり地点でも同じく「リネア6」の駅が建造途中である。ナポリで最も美しい景色を望む高級住宅街であったリビエラ・ディ・キアイアは、今やナポリで最も間近に工事現場が見られる住宅街である。
……あのパラパラとした小雨の降った日の午後、私はMIDDLE OF NOWHERE(荒涼としたどこか)にいた。もちろん鉄道の中である。1時間遅れて発車した鉄道が、アフラゴラとアヴェルサの中間のどこかで止まって、1時間近く動かないからだった。車窓からの景色はアチェッラからノーラまでの「死の三角地帯」と呼ばれる一帯だった。
まるで片田舎の実に退屈な美術館で、いまいち躍動感のない絵の前にずっと座れと言われている気分であった。
水牛のあくびのような音を立てて再び鉄道が動き出したのは、iPhoneで聞いていたトゥーランドットのアリア「Non piangere , Liu (泣くなリュー)」の2回目が終わったときだった。正味2時間の壮大なオペラが2回目の感動的なエンディングを迎えて10分後に、カゼルタについた。
ナポリから約27kmのカゼルタに4時間以上経って到着したとき、私はいたく感動した。あの文豪ゲーテのイタリア紀行を、この身をもって再現したのだから。もちろん到着が遅すぎてカゼルタで仕事はできず、15分後の鉄道に乗ってナポリに帰ったのは、言うまでもないだろう。
<続く>