(写真はナポリのプロフェソーレ・ランバルディ事務所)こんにちは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。大変久しぶりに記事を寄稿します。
この『大人になれる本』ですが、初代ライター田中として編集部で執筆していたときの記事から、ずっと読んでいただいている方がたくさんいると聞いて、大変驚きました。
パリの落選展から155年経った現在、世界では古典主義どころかゴッホの「ひまわり」しか知られていないということをエドゥアール・マネがうっかりTwitterで見てしまったときのよいうな驚きようですな。
155年経った今世界の美術は極限まで進歩し、四方を真っ白の壁に囲まれることを至高の喜びとしている。何たる高度な精神性か。びっくりしたお。- エドゥアール・マネ(予想)
それはいいとして、今回は読者の皆さんからぜひ書いて欲しいと要望のあったナポリでの生活を紹介しましょう。
(ただ書いてもつまらないので、ゲーテのイタリア紀行風に書くとしましょう)
ナポリの朝食
私はガリバルディ広場近くの自宅で恐ろしい空腹と共に目を覚ました。
ナポリで目覚めることは絶望である。これはナポリの朝には、粉砂糖のたっぷりと掛かったボソボソとしたレモン風味のクロワッサンしか存在しないからである。生活の達人であるナポリ人たちだが、こと朝食となると味噌汁の暖かさも、焼き魚のありがたさも知らずに生涯を終えるつもりなのである。
朝食はカプチーノで済まされることが多い。近所のバルで立ち飲みをするのが一般的であり、座って飲むのはアメリカ人か、あるいは非常に裕福な人々である。なぜなら立って飲めば1.4ユーロのカプチーノが、座って飲むと2.5ユーロになるからである。ナポリで2.5ユーロをカプチーノに使うことは、ほぼ重罪に値することである。なぜならあのクロワッサンは、どれだけ大きなものであっても、大抵1ユーロだからである。
観光客は朝食を求めてさまよい続けている。
時より昨日の昼に作ったホットドッグやピザ(これはあえてピザと呼ぼう)を置いている店があり、それを見つけたアメリカ人は発狂して飛びついている。私も朝に塩気を求める発作が出てうっかり何度か飛びついたが、あまりの質の悪さに飲み込む水を買う必要があった。
ナポリで美味い昼食を食べるのはヨーロッパで一番簡単である。美味い夕食を食べるのは息を吸うのよりも簡単である。
しかしこと朝食に関しては、まだナポリが古代ギリシアの植民地であったときから進歩していない。むしろ、ブルボン王朝がもたらしたクロワッサンというものが、ナポリ独特の進化をとげて、呪いのようにここを支配している。
彼らは聞く。
「クロワッサンはシンプル?それともレモンクリーム入り?」
これは冥界に入ったアエネイスが、針山?マグマ?と聞かれるのに等しい苦痛である。
ナポリのエスプレッソ
私は急いで身支度をすると、すぐ横のシャツ工房に元気よく向かった。そこは、私の友人であるマウリツィオ・ピッチリーロの工房である。カプチーノを恵んでもらうためである。私はカプチーノをいっぱい恵んでもらうたびにシャツを一枚オーダーする約束をしている。今のところ72枚のオーダー待ちのシャツがある。
ナポリでは、バルに電話をかけて出前でカプチーノやエスプレッソを頼むのが普通である。ナポリに存在するコーヒーの豆を一粒ずつ数えたら、その数がイタリア全土の人口よりも多いのは確実だ。十メートルおきにバルがあり、それぞれに別々の客がついている。圧倒的に人気な豆はない。
KIMBOと、LAVAZZAが首位争いをしている。ナポリ発祥のコーヒーブランドKIMBOとトリノ発祥のコーヒーブランドのLAVAZZAの戦いは丁度、ナポリ人たちが熱狂するセリエAのナポリ対ユヴェントスに近いものがある。
しかし一方で、ナポリにはさらに美味いコーヒーが点在しているという。
食通が勧めるエスプレッソは断然PASSALACQUAである。これは黄色いパッケージのコーヒーブランドで、実に濃厚なアラビカ種100%の豆でナポレターノを魅了している。
ちなみに日本で買うと豆1kgで1万円つまり1gあたり10円という値段である。念の為にいうとHARRISONS OF EDINBURGHのFINE CLASSICSという生地370g/mでメートル辺り7500円、1gあたり約20円である。1円玉が1gあたり1円であることを考えると、どちらもかなりの高級品である。
ナポリで最も有名なバルは、ガンブリヌスである。これは立地が実に良いのと、内装がエレガントで、歴史があるということで圧倒的な人気を誇るバルである。このバルの特徴は味よりもカップの熱さである。24時間以上エスプレッソマシーンの上で暖められたカップは、実に100度を超える熱さである。
そのため実に優雅なジェントルマンでも、アメリカ人でも、モデルのような女性でも、口をすぼめて間抜けな顔でエスプレッソを飲まなければならない。これが非常に滑稽で魅力的である。
エスプレッソに関する記述は、やめようと思わなければ終わりを見ない。これについては何度かに分けて書くこととしよう。
<続く>