ネットでよく「美談」として語られる話があります。
•お金持ちは無駄遣いをしない
•お金持ちは飛行機のファーストクラスに乗らない
•お金持ちはユニクロを着る
•お金持ちはベンツではなく軽自動車に乗る
•無駄な消費をせずに節約したからお金持ちになれた
このような話は、「お金持ちは質素で無駄遣いをしない」というイメージを作り出し、我々労働階級からの恨みを避けるための幻想とも言えます。
特に「無駄な消費をせずに節約したからお金持ちになれた」という説について考えてみましょう。次の職業の人々はお金持ちでしょうか?
•弁護士
•医師
•パイロット
•芸能人
•スポーツ選手
残念ながら、これらの職業の人々は高収入であるものの、真のお金持ちとは言えない場合が多いです。中には資産運用をしている人もいますが、半数以上は「従業員」に分類されます。キャッシュフロー・クワドラントの図で言うと、「E: 従業員」や「S: 自営業者」に該当します。
「パイロット」や「スポーツ選手」は従業員であり、「芸能人」も半分以上は雇われの立場です。一方、「弁護士」や「医師」についてはどうでしょうか?独立している弁護士や医師は「S: 自営業者」に分類されます。
その中でも、社員を雇い、自分が直接働かなくても事業が回る体制を整えている医師や弁護士は、「B: ビジネスオーナー」に該当します。ビジネスオーナーや「I: 投資家」だけが、真のお金持ちと言えるでしょう。
なぜなら、「E: 従業員」や「S: 自営業者」の労働階級では、どんなに高収入であっても、もし怪我や病気で働けなくなれば収入が途絶えてしまうからです。
権利収入のお金持ちは働かなくてもお金がやって来る
この記事がアムウェイっぽく感じられるかもしれませんが、実際に富裕層や超富裕層と呼ばれる人々は、UBS AGやゴールドマン・サックスなどの金融機関に資産運用を任せ、毎年数千万円以上の利息を受け取っていることがあります。
例えば、10億円の資産があり、税引き後利回り5%で運用していると、年間5000万円の収入を得ることができます。この場合、月々416万円を使っても元本は減りません。たとえ病気になっても、または海外のビーチでシャンパンを空けていようとも、資産は増え続けます。さらに、支出がそれ以下であれば、複利の力で資産は毎年増え続けるのです。
編集部が接触した”とある人物”の話によると、1〜2億円では資産が増える実感はほとんどないものの、5億円を超えたあたりから適度な投資を行うと、「急に資産が増える実感が持てる」と言います。具体的な金額は伏せられていますが、その人物は働かずとも投資銀行からの収入で、生活に困ることはないと話しています。
つまり、この”とある人物”は、キャッシュフロークワドラントの「I(投資家)」に当てはまると言えるでしょう。
一方、私は(はっしー)、スーパーで豆腐を買う時に価格を気にしません。100円でも200円でも、欲しければ買いますし、必要なければ買いません。300円の豆腐を見た時には「少し高いかな?でも厳選大豆の手作り豆腐だし、買ってみよう」と思って購入します。
お金持ちは、衣食住、自動車、旅費交通費など、全てにおいて「欲しければ買う」というシンプルな基準で決断します。ベンツ、ロールスロイス、マイバッハ、軽自動車のどれであろうと、その時に必要だと思えば、迷わず購入するのです。
ただし、年間の収益を超え、資産を減らすことになるような大型クルーザー(数億円)や自家用ジェット(数十億円)といった高額なものについては、「本当に必要だろうか?」や「節税対策はどうだろうか?」と、慎重に検討することもあるでしょう。
マイクロソフトの創設者ビル・ゲイツは、以前「ファーストクラスではなくエコノミークラスに乗っている」という話が話題になりましたが、彼は軽井沢の別荘に80億円を費やしたことでも知られています。彼にとっては、飛行機の座席がエコノミーであろうが、ファーストクラスであろうが、どちらでも大差ないのでしょう。
もしかしたらその時、「今日はファーストクラスって気分じゃないな。ちょっと庶民の気分を味わってみるか」と思ってエコノミーを選んだだけかもしれません。それでなければ、80億円の別荘を所有していることとの整合性が取れないでしょう。
お金を使わないのはただ”興味が無い”だけ
プレジデントオンラインの記事で、ココイチ創業者が「シャツは980円で十分」と対談の中で語り、浪費を避ける姿勢が話題になりました。
「贅沢には興味がありません。愛用の腕時計は7800円、シャツは980円の既製品です。どれだけ贅沢にお金を使っても、最後には空しさしか残りません。」と述べています【出典: プレジデントオンライン】。
彼は、興味がないことにはお金を使わないのです。一方で、ファッションを「文化」として捉える人々もいます。例えば、大人になれる本では、イタリア・ナポリで手縫いされる「カミチェリア・ピッチリーロ」について、職人技が生んだ素晴らしい文化だと評価しています。手縫いのシャツは、着心地が良いだけでなく、その襟元の美しさは、見る者を魅了するほどです。こういった服を着ることは、贅沢であると同時に、文化を支える行為でもあるのです。
良い生地を使い、優れた職人が仕立てた服を買うことは、自分自身への贅沢であり、美しい服が街を歩き、店の存続や文化の継承に繋がります。もし、「贅沢をしない」という考え方が普及すれば、成人式の振り袖はポリエステルの安価な中国製品で十分という話になってしまいます。しかし、それでは成人式の華やかさは失われ、日本の振り袖文化や伝統的な反物の技術も廃れてしまいます。
特に服や車、時計などの高級品については、お金持ちが率先して購入する責任があります。かつては、貴族が文化的な品に大金を費やしていましたが、現代には貴族は存在しません。日本文化においても、雛人形や兜飾り、箪笥、焼き物などの「生活に必ずしも必要ではない」高価なものでも、お金持ちが購入することで文化が守られていくのです。
質素で無駄な買い物はしないは嘘
「質素で無駄な買い物をしない」というのは、実際には誤ったイメージです。むしろ、無駄な買い物は”お金持ち”こそがするべきなのです。文化的で高価な品物や、伝統工芸を支える品々を購入することは、単なる贅沢ではなく、文化の継承や職人の技術を守るための重要な行為でもあります。お金持ちがその役割を果たすことで、未来の世代に豊かな文化が受け継がれるのです。