こんばんは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。
今日は珍しくまともに、素面(シラフ)で記事を書いております。すなわち早くから飲みすぎてもう酔いが覚めてしまったということです。そういう経緯で、ブラームスのハンガリー舞曲第1番を聴きながらこんなことについて書いております。本物のナポリ仕立てとは何か?
随分ざっくりとしたテーマですが、少し考えていくことにしましょう。
あまりにも多くの、ナポリ仕立て
今、世界は空前のナポリ仕立てブームです。数多くの雑誌やウェブサイトがナポリ仕立てを紹介し、世界中の洒落者たちの視線はナポリのサルトリアや、そこでスーツを仕立てる著名ブロガー達に注がれています。
そして10数年前まではもう終わってしまうと信じられていたナポリのサルトリアでは若手も活躍するようになってきており、ナポリ仕立てには新しい光さえ昇りつつあるのです。
しかしあまりにもナポリ仕立てが有名になったおかげで、ありとあらゆる服がナポリ仕立てと呼ばれるようになってもいます。
すなわちナポリで作られている服であれば、それが工場生産であってもナポリ仕立てと呼ばれてしまう時代なのです。
あるブランドのジャケットはナポリ仕立てとして、20万円近い価格で売りだされています。しかしそれは単にナポリ風の袖付けや仕様にしてあるだけで、その製造過程は他のイタリア製ブランドと大差ありません。
それは本当にナポリ仕立てなのでしょうか。むしろ本物のナポリ仕立てとは何なのか?
ナポリ仕立てとは、ナポリのサルトリアで仕立てられた服
私たち日本人の多くが勘違いしてしまいやすいことが一つあります。それは、ありとあらゆる服がナポリではサルトリアで作られているのだ、という誤解です。
ナポリには確かに星の数ほどのサルトリアが存在していますが、彼らは日本で売られている既製服とは全く異なる世界で服を作っています。
それはビスポークという世界です。一人の顧客がやってきて、彼と共に生地を選び、彼のためにそれを裁断して、それを一着一着縫い上げていく。そういう世界ですから、それは日本中のどこのセレクトショップにいっても置いてあるような人気ブランドとは、およそ相容れない世界なのですね。
ですから日本でナポリ仕立てとして売られているブランドの多くは、ナポリ郊外……例えばフラッタ・マジョーレやカゼルタ、カサルヌオーヴォといった町々の工場(といっても工房に近いものです)である程度合理的に作られています。
それらの服はナポリではコンフェツィオーネと呼ばれ、ビスポーク=ナポリ仕立てとは明確に区別されています。
もちろんそういったコンフェツィオーネを作る工場でも働いているのは熟練したサルト達であり、優れたクオリティを持つ工場がたくさんあります。また工場のオーナーが熱心であれば、より伝統的なサルトリアに近い製法を用いた服作りを行なっていることも少なくありません。
とはいえ本物のナポリ仕立てというのであれば、やはりビスポークにおいてナポリのサルトリアで作られたものを指すべきなのでしょう。
また日本のバイヤーさん達の苦労もあって、現在ではナポリのサルトリアが日本向けに既製服を作ることも少なくありません。そういった服もまた、ビスポークとは違えど本物のナポリ仕立てであることは間違いないはずです。
そして、「ナポリ仕立て」のもっと大事なこと
ここまでは、どこでどういう風に作られたものが本物のナポリ仕立てなのか、ということをお話ししてきました。
しかしもっと根本的な大切なものこそが、ナポリ仕立ての本質なのではないか。私は色々なサルトリアを訪れながら感じました。
日本では「この部分がミシン縫い、ここが手縫い」「ほとんど手縫いだからナポリ仕立て」というように言われることが多いです。
確かに手縫いによって仕立てられたジャケットは、ビスポークによるナポリ仕立てにより近いと言えるでしょう。しかし私たちがそのようにして服を判断している限りは、かの憎っくき英国人に「やっぱり、日本人は木を見て森を見ることのできない人種だね」と言われてしまいます。
一番大事なのは、職人がどれだけその服と向き合っているかということ。
どんなに有名な仕立て屋でも、あるいは看板も出していない小さな仕立て屋でも、所詮服を作っているのは職人達です。
その職人達が一着一着に愛情を持って、心から向き合って作っていればそれは当然着心地がよく、美しいスーツとなる。
そしてナポリで独自の技術を生み出してきた職人達がまるで我が子を愛するように縫い上げたスーツ、それこそが本物のナポリ仕立てなのです。
サルトリア・チャルディを初めて訪れたとき、80歳も近いだろうというようなお爺さんの職人が、重い鋏を使って素早く見事にカッティングをこなしていました。その手さばきはといえば、若い職人には到底かなわない早さと正確さです。
後ほど、集合写真を撮るためその職人にカメラで写真を撮るようにお願いしました。すると何と、彼は急に普通の80歳のお爺さんになってしまったかのようになり、まごつきながら震える指で、かろうじてシャッターを押してくれたのです。
ナポリのサルトたちはその人生をかけて、服を仕立てています。彼らは人生をかけて、そのスーツ一着一着と向き合っています。
その様子を見ていると、ただナポリ風の仕様で作られたから、あるいはナポリ発のブランドだからといって「ナポリ仕立て」と呼ぶのは、彼ら本当に「ナポリ仕立て」と呼ばれるべき服を作る職人達に失礼なのではないではないか。
そんな風に考えてみたりもするのです。
ナポリ仕立て。
実物を目にする機会があれば、世界中が注目するそのスーツと、一度思い切り対峙してみてください。その中に職人たちがどれほどその一着と向き合ったかを感じ取れるような証拠がありましたでしょうか。
もし見つかったとしたら、それこそが本当のナポリ仕立てなのです。