イタリア統一を目撃したサルトリア(仕立て屋)
1861年、ジュゼッペ・ガリバルディがブルボン朝を打ち破り手に入れたシチリアや南イタリアの領土を、サルディーニャ王のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に無償で寄進して、統一国家としてのイタリアが出来上がった。
それよりも11年も昔、フランスの7月革命の影響を受け、イタリア全土が自由を渇望して起こった1848年革命が失敗に終わって、イタリアが国家統一の兆しを待っていた1950年に、後にイタリア王国の初代国王となるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の領土、サルディーニャ島で一つのサルトリアが店を開きました。
それがサルトリア・カスタンジアです。
そもそもピエモンテ州のトリノに首都を置いておいたサルディーニャ王国ですが、トリノにはフランスの影響を受けた、ピエモンテ仕立てとも呼ぶことのできる独自の仕立てが生まれていた。それを引き継いだのが、サルディーニャ島のサルトリア達でした。
このサルトリア・カスタンジアもまた、そのピエモンテ仕立てのサルトであったジョヴァンニ・カスタンジアがサルデーニャのカリアリという小さな街で創業したことが起源です。
1891年タリン、1900年パリ、1911年ロンドンでの博覧会にも出店しており、すでに7代目になるこのサルトリアは、今なおサルディーニャの約70人の小さな工房で、クラシックな仕立てを継承している。
今回はそういうわけで、イタリア最古のサルトリアであるサルトリア・カスタンジアを紹介します。
偉大なるクラシック(王道)を守るサルトリア
カスタンジアのジャケットは、特別に華があるわけでもなければ、トレンド性があるわけでもありません。言わば非常に普通のジャケットと言っても過言ではありません。
キートンやブリオーニのような贅沢で繊細な生地というよりは、ヴィンテージ感のある目の詰まった生地を用い、まるで最初から最後まで何事もなかったかのように、淡々と縫い上げたこのジャケットには、地味であるのにも関わらず、何か強烈に惹き付けられるものがある。
この魅力が何なのか、店で試着するだけでは分かりません。家に持ち帰って次の日に晴天の下このジャケットを着て出かけ、その次の日に雨の中仕事着として羽織り、その週末にこのジャケットを着て遠出をしたときに、それが何なのかが分かる。
このジャケットの魅力は、この“普通さ”そのものなんです。
例えばアットリーニのジャケットを着るときには、毎回思います。「なんて素晴らしい生地なんだ」「とんでもなく美しいダブルステッチだ」「ラペルが広めで格好がいい」などなどです。逆にマシンメイドのあまり良くないジャケットを着れば、縫製が悪いことや、ラペルが細すぎ着丈が短すぎること、生地感が悪いことなどが気になります。
しかしカスタンジアのジャケットを着て出かけるときには、すでにジャケットを着ていることを忘れている。ジャケットについてあれこれ考えることさえ、しないのです。
これは実はジャケットに一切の不満や極端さがなく、完全に安心しているからです。
カスタンジアのジャケットは見れば見るほど、バランスが良いことに気がつきます。そのシルエットは常にクラシックで、ラペルの幅やゴージラインの高さ、着丈の長さに全てのサイズ感が王道にある。
まるでイタリア最古のサルトリアとして、イタリアのジャケットのスタイルが本来どうあったか、どうあるべきかというのを体現しているかのようです。
そしてその王道さは、人に安心感を与える。例えば急に目上の人に合うことになったときには「良かった、今日はやり過ぎじゃないし、失礼のないジャケットを着ている」と思うでしょう。逆に急に高級なレストランに入ることになっても「良かった、今日はそこそこ良いジャケットを着てるから」と思うでしょう。
もしファッション関係者にばったりと出くわしても「今日はクラシックでセンスの良いジャケットを着ていて良かった」と思うはずです。
カスタンジアは常に人を安心させる。その普通さは、地味という一言で表現することなどとてもできません。それはバランスの良さと説得力のあるシルエットで人を安心させ、人に足場を与えるクラシック(王道)としての普通さなのです。
無駄のない上質さが最も美しい
カスタンジアのジャケットは常に緩やかな曲線と、直線の連続です。一切の無駄や装飾がなく、常にシルエットとしての美しさに徹している。
例えば肩とラペルのラインを見れば、エッジがしっかりと立てられ、その鋭さを全体の洗練された雰囲気のために、いかに重要視しているかが分かります。
ダーツやポケットのカーブ、フロントカットなどは常に連動して、均衡を保ちながら全体のバランスを作り上げている。
前身頃をじっくりと眺めたとき、その丸みを帯びながらも、何か直線のような安定感を感じさせるシルエットに驚かされるでしょう。それは線の均衡が生み出している安定感ですね。
ボタンホール一つを取っても、常に丁寧で端正な仕上がりです。ステッチはあくまで収まりを良くし、装飾としての側面は抑えてあります。
もちろん生地や副資材の上質さに関しては言うまでもありません。先ほども書いたように、目の詰まったヴィンテージ感のある生地を使用しているため、おそらくこの先何年着込んだとしても、裏地を張り替えたりしながら、ずっと着ていけるのではないでしょうか。
イザイアが長い縫い目のハンド風ステッチでナポリ仕立てをコマーシャルにしたり、ボリオリやラルディーニ、タリアトーレ等がこぞってブートニエールを付けてブランドのアイコン化をしようとしている中で、カスタンジアは一切そういったことをすることがなければ、強烈なスタイルを打ち出そうとすることがない。
カスタンジアが何故これほどまでに長続きしたか。
それは上のサルトリア達がこぞってやろうとしているブランド化や量産化をはからず、常に一件の人気サルトリアにとどまり、人々に常に「カスタンジアならいつでも大丈夫」と思わせるような安定した品質をキープしてきたからです。
そしてカスタンジアは今も同じように、品質をキープしながら少量ずつ良質のジャケットやスーツを生産しています。
いかがでしたか?
色々なスタイルのスーツやジャケットを試し、奇抜なものから贅沢なものまでを着ている一人の人間が、ふと我に返ったときに、いつもそこで待っていてくれて安心させてくれるようなジャケット。それがカスタンジアです。
イタリアが誇るこのクラシックを体感したとき、あなたはまるで長い旅から家に帰ってきた一瞬のような温かみを感じることでしょう。