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【ちょっとした小話に】クリスマスの雑学・豆知識Part3

こんにちは!ライターのあやです∩(´∀`)∩
そろそろ終盤に近づいてきました!
今回も新たな雑学・豆知識を紹介します。

クリスマスツリーの木はなぜもみの木?

よく使われる木は恐らくもみの木が一番でしょう。
他にもひいらぎ、月桂樹、中にはえぞ松なども使われます。
これらの木が選ばれている理由には、木の枝がまるで十字架のように広がっている姿であるためとされています。
それゆえ「聖なる緑の木」と崇められ、キリストを祝う木としてふさわしいとされました。
また冬の時期でも葉が散ることがない為、永遠の命の象徴とされているようです。

では、クリスマスツリーの始まりは何なのでしょうか。
俗説では、デンマークのとある村で始まったとされています。
その村には不思議な力の宿る木があるとされていました。
その木に願い事を込めながらリンゴなどを捧げると祈りが通ずるというものです。
村の人たちは少しずつ祈りを捧げていきました。
やがて神様への捧げ物が数えきれないほどの多さになり、クリスマスツリーが始まったとされています。
その為クリスマスツリーの飾りにはりんごやろうそくが基本となるようです。

 クリスマスの休戦

皆さんはクリスマスの休戦を知っていますか?
一番有名な休戦は第一次世界大戦が始まって初めてのクリスマスに起きた休戦でしょう。
昨日の敵は今日の友という言葉がもっとも似合う日でした。

当時、イギリス軍とドイツ軍は西部戦線にて戦闘を繰り広げていました。
お互い塹壕に留まり、日々銃撃戦をしていたのです。
しかし1914年12月24日の夜、イギリス軍は塹壕の中である歌を耳にしました。
ドイツ軍の基地からはカラフルな色が漏れでており、歌はそこから聞こえます。
言語が通じない彼らでしたが、それは確かに「きよしこの夜」でした。
クリスマス前には終わると信じられていた戦争が長引き、イギリス軍はクリスマスを祝うことを半ば諦めていました。
そんな中でドイツ軍は、戦争中であるにもかかわらずクリスマスを祝っているのです。
クリスマスツリーやクリスマスキャロルが見え、イギリス軍はクリスマスを認めざるおえませんでした。

そしておもむろに彼らは、自分たちの言語で「きよしこの夜」を歌い始めました。
中には涙を流しながら歌う者もいたそうです。
イギリス軍が歌い終わると同時に、両陣営からは大きな拍手が飛び交いました。
ドイツ軍も彼らの歌を聞いていたのです。

その時、ドイツ兵がたったひとりで、銃も持たずに中立地帯へとやってきました。
白旗を振りながら近づいたドイツ兵はイギリス軍に向かっておぼつかない英語で話しかけます。
「私たちは撃たない、あなたたちを撃たない、話しあおう」
イギリス軍は警戒しました、普通に考えれば今は戦争をしている仲です。
そんな最中に彼らの言葉を信じるか否かを。
しかし一人のイギリス兵がドイツ兵へと近づいていきました。
ドイツ兵は彼らに、クリスマスだけの停戦をしないかと持ちかけました。
ドイツ軍はただイギリス軍と共に、クリスマスを祝いたかっただけでした。
イギリス軍はこれに同意したのです。

そうして彼らは、クリスマスを共に祝いました。
この話は瞬く間に他の兵士へ伝わり、翌日にはほとんど全ての兵たちが共に語り合いました。
お互いの家族の写真を見せ合ったり、母国の料理を振る舞ったりしました。
イギリス軍はソーセージ、ドイツ軍はクリスマスプディングを楽しんだそうです。
中にはサッカーをしたり、お互いの住所を教え、この戦争が終わった暁には手紙を書こうと約束した者もいました。

クリスマスが終わった後、彼らは再び戦争をする仲へと戻りました。
しかし実際には、この後ほとんどの兵士は上空に向けて発泡したのでした。

このような停戦は実際には色々なところで行われたそうです。
しかし上官に逆らうことは重罪とされ、命令に背いたものにはかなりの罪が着せられたようです。
そんな彼らが歌った歌は、「塹壕のクリスマス」と呼ばれました。

どうでしたでしょうか?
クリスマスの休戦については、戦争に関わらなくなった私たちが知っておくべき歴史かもしれませんね。
そのぐらいにクリスマスというのは特別な日なのです。

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