
いろいろな世界の入り口が転がっている街、高円寺
1960年代のこと、音楽やアートそして精神世界をも巻き込みサブカルチャーを牽引し、いや、全国からそれらを引き寄せてしまったのが、高円寺。
今は主に古着の街として知られていますが、どの店やどの風景を見てもバックグラウンドにはしっかりと高円寺の空気を感じるものです。
今回はそんな高円寺の街中を歩いた様子とともに、その魅力をご紹介しようと思います。
いい意味でちょっとズレている、ゆらめいている、でもなんとなく分かる
街を歩いて少し駅から外れに行くと露店がありました。
ビールケースをひっくり返してできた簡素なテーブルと椅子がいくつか並び、そこでは中年の男性がビールを美味しそうに飲んでいる。
15時か16時頃だったでしょうか。
大人がこの時間から気だるそうにお酒を呷っているところをみると、これからの日本はどうのこうのと言いたくなる人も多いかもしれません。
しかしわたしは「ダメなのに誰よりも自由なのだろう」と、その姿に妙に安心してしまいました。余計なことや時間に追われる日々とは対極のその姿が、あまりに人間らしかったのでしょう。
人間の共通意識といいましょうか、これが何故こうなったのかこうなることになったのかは理解できる、そんな部分が高円寺にはたくさんあるのです。そしてそこが高円寺の愛される理由である”愛嬌”であると思います。
どの店に入っても「高円寺」
高円寺の面白いところは、どんなお洒落なお店のバックグラウンドにもしっかりと高円寺の色が見えるということ。
例えば、ふらっと入った古着屋さんでのこと。
外観はもちろん、店をガラス越しに眺めてもいい感じの商品が置いてあると分かるような素敵なお店でした。店内に入るとジャズピアニストの大御所ビル・エヴァンスが流れ、暖色照明が優しく照らすのお洒落でありながらも、あたたかい雰囲気が自分を迎えてくれます。
木の床をきしませながら、一歩一歩、何かいいものがないかなと店内を物色していたところでした。
ふと目が合ってしまったのは、仏像。
手を合わせたくなるような、それはそれは穏やかなお顔です。仏像を目にすると、日本人はいらぬ暴露や思想、願いを思うもの。わたしもうっかり引き込まれそうになったところ、商品の陳列棚の下の方の壁を見ると、元素記号表が登場。
「元素記号の世界へようこそ……だと…?」
元素記号表のおかげで現実に引き戻されつつも、また何か別の部分が開きそうになる。
書籍も売り物なのかそうでないのか分からない状態で、タイトルが見えるようにして店内のいたるところに置かれています。まるで自分の思想をそこで呈しているようにも感じられるようなものがぎっしりと。タイトルを見て、これがお好きなのか、ふむふむ、ちょっと話しかけてみようかなと思いつつも、それをあえて突っ込まずに店を後にしました。
そう、どの店に行っても、まるでその店主の脳内を覗いているかのような気分になるのです。
店員さんがお客さんの様子を眺めつつも本を読んだり、物思いにふけていたり、たった一軒のお店でこの濃密さ。知っている人が見ると反応せずにはいられないものが、ぽつりぽつりと置かれている。
そう、どのお店にいったとしても、あらゆる世界への入り口がいたるところに転がっているのです。
ちょっとシュールな街の風景
街の風景の中で「おおっ」と思ったのが、このちょうちん。
ちょうちんは街中のセントラルロードを中心に大量発生しています。何よりすごいのは、一般的なマンションに店舗が入っているせいか、玄関口となるエントランスの付近にも平然とちょうちんがあること。
街の人からすると当たり前のこのちょうちん。なぜここにこのちょうちんがあるのかを思うと、異様にこのちょうちんが愛らしくなるものですよ。
たまには、ちょうちんの気持ちを考えるのも良さそうだ…。
そして「んん???」と首を傾げ、その広告の主つまり店舗を確かめに行きたくなるようなこんな看板。記憶によると、担々麺が辛い〜〜って感じのお店だったかと思います。この看板である理由が分からなくもないのですが、これがこうなってしまった理由を直接店主に尋ねたくなりますよね。
まさに「親の顔も見てみたい」なのものがたくさん。
また、路地の合間をうまく利用した店舗もいくつか見かけました。
例えばこちら。
写真では分かりにくいかもしれませんが、通りかかったとき、黒い方のマネキンの衣装が風になびいていて、そこにふわふわと浮いているかと思いました。ドキッとさせて人の目を集める良い方法ですね。笑
いたって普通の店といたって普通の店との隙間にこれが突然現れる不思議さ。これも高円寺ならではでないでしょうか。
いかがでしたか?
行けば行くほど発見と驚き、そして新しい世界の開ける街、高円寺。
あなたも是非、いろいろなものを開きにいってみてくださいね。

