衝撃的な出来事を体験しました。ある集まりで2000年生まれの女の子に急須の緑茶を淹れたのですが、「コレ苦くて大人の味って感じ……」と感想を述べて2~3口飲んだだけで捨ててしまいました。その彼女は自宅ではペットボトル緑茶を常飲しているそうです。
あまりに興味深い出来事だったので、家庭で何を食べているのか、両親の出身はどこか尋ねてしまったのですが両親は関東出身で家庭では、麦茶やペットボトル飲料で育ったそうです。試しにワインを一口飲んでもらったのですが、やはり「苦くて飲めない」と毛嫌いしています。彼女は野菜も嫌いで、ファーストフードやスナック菓子、炭酸飲料を好んで生活しています。
タイトルで今どきの「女の子」はワインの味が分からないと煽って表現しましたが、おそらく何度飲んでも本格的な茶葉の緑茶や赤ワインをまずく感じるということです。
親の常識が子供の常識になる?
私が静岡の田舎に生まれたときは、まだペットボトル緑茶の種類も少なく、急須をつかって家で茶を飲む文化がありました。中でも特にお茶農家だった私の祖母の家では、3歳か4歳のときには当たり前のように静岡茶を飲み、庭で育った若いキュウリやトマトを食べて育ちました。
昭和生まれや平成初期生まれでは、同じような経験をした人もいるはずです。小学生になる頃には急須で淹れる緑茶が”苦い”と感じたことは一度も無く、炊きたてご飯を食べると緑茶が飲みたくなり、塩辛い鮭をつかって茶漬けにして食べることが何度もありました。幼少期の食生活が当人の味覚を形成する上で非常に重要な影響を与えるということです。
『においと味わいの不思議 知ればもっとワインがおいしくなる』(東原 和成、虹有社、2013年)の180pには「食べ慣れた味は安全である」とその理由について解説しています。美味しさには4種類あり、生理、文化、情報、報酬があるといいます。生理的なものは喉が渇くと水が欲しくなる、体力を使うと糖分が欲しくなる、文化はヘシコなど地域によっては強烈な臭いや味の食材も食べている、幼少期から食べていると当たり前になって美味しく感じる、といった具合に美味しさにも種類があります。
本書では『幼児期に和食の朝食を摂取していたヒトは、成長してからも和食への関心が高い』(Kimura et al 2010)や、『大人の野菜の摂取状態は、家庭での昔からの食生活を反映している』(Laurati et al. 2006)といった論文を紹介しています。
幼少期に家庭で苦味ある野菜や、緑茶などを飲んでいないと大人になっていてから苦いものに対して否定的になると予想できます。そもそも砂糖や果物の甘さは人間がすぐに単糖・ブドウ糖として脳や筋肉が使うことができるので、脳は甘い=美味しいとすぐに知覚できますが、苦味があるものや酸味があるものは本来「食べてはいけない危険な味」と認識されます。酸味は熟れていない果実や、腐っているものから発生しますし、食用に向いていない野草も強い苦味があります。
ワインを楽しむには幼少期の食生活が大切
ワインバーに入り浸っていると、大人になって「カッコいいから憧れ」という理由でワインを一生懸命飲んでいる人を見かけます。すんなりワインの本質的な味わいを理解して、情報と味わいを同時に吸収する人がいる一方で、何万円もする高級ワインをバンバン空けているのに、全然味の違いが分からない人もいます。
大人本のワインレビューに参加してくれている、りんりん氏は二十歳でワインを初めましたが何本か飲んだ時点でワインの特徴を立体的に掴んで言語化できるほどに上達しました。彼は幼少期から様々な野菜や食を食べている一方で、13歳から数千種類の茶を実飲して研究していました。タンニンやカフェイン、カテキンなど様々な苦味に慣れているのと、岩茶にあるような深いミネラルを知覚できる味覚が備わっていたので、ワインを飲んでもすぐに「美味しい」と感じる舌になっていたといえます。
茶の味が分かるから偉いだとか、ワインの味が分かるから偉いという話ではありません。家庭の食生活によって生涯に渡って味覚が影響されるのだと実感して、強く驚きました。
記事のタイトルは私の独断と偏見なのですが、もし今どきの女の子の食生活が緑茶や野菜などの「苦味」「酸味」と無縁なのであれば、ワインの味を理解するのは難しく苦労するであろうということです。