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私がテレビやニュースを一切見ないで生活している、5つの理由。

こんにちは、ライター田中です。

皆さんは毎日の生活の中で、テレビを見ているでしょうか。私は家にテレビを設置しておらず、ニュース等はインターネット上のものを含めて殆ど見ることがありません。

ときどき飲食店で料理を待っているときにTVを見たりすると、その度にテレビというものの存在に疑問を感じます。

今回は私がテレビやニュースを見なくて良い、むしろ出来る限り見る時間を減らすべきだと考える理由について、お話しようと思います。

もちろん色々な意見がありますが、「本当にこれって、必要なのかな?」と疑問を持ったときに、どうか一つの意見としてご参考いただければ幸いです。

さて、早速テレビやニュースを見なくて良い、むしろ出来る限り見る時間を減らすべきだと考える理由を解説していきましょう。

受動的な娯楽であること

まずテレビやニュースの大きな問題は、受動的な娯楽であるということです。見る側に出来ることはといえば、どのチャンネルでどの番組を見るかを選ぶことくらいですよね。

内容は一方的に配信されてくるし、「これが見たい!」といってチャンネルを選ぶというよりは、なんとなく暇つぶしのように見てしまうことの方が多いでしょう。

人間はこのように受動的な娯楽に慣れてしまうと、自分から何かを始めよう、知ろうという能動的なアクション、積極性を忘れてしまいます。

知的好奇心、適切な物欲、新しいものを知りたい、体験したいという願いは人間の豊かさにつながり、創作活動や仕事のアイデアになります。

私は経営者の部類にある人間ですから、そういったアイデアは最も大事です。テレビやニュースを生活から排除している理由の一つは、ここにあります。

知る必要の無い、ネガティブな内容が多すぎること

それから特にニュースの最も大きな問題点は、知る必要のないネガティブな内容が多すぎることです。

もともとニュースは社会情勢や事件、事故などの話がメインになりますが、それらは往々にしてネガティブな話です。ですからニュースを見れば、本当に多くのネガティブな話を見聞きすることになります。

しかしそれらの多くは、実際には知る必要がないのです。

例えば交通事故がありました。交通事故で7人が死亡、15人が重軽傷を負いましたと報道があります。報道は映像と共に繰り返し繰り返しその数字を繰り返し、状況が変われば死亡者は8人になった、などさも深刻そうに報告をしていきます。

それは大惨事です。悲しむ人がたくさんいるでしょう。

しかしテレビの前に座って、インターネットを開いて菓子を食べながら見ている人々に、何人が死亡したかを知る必要はあるでしょうか?

ニュースを見ている人々の「大変だ、かわいそう」という偽りの同情は、事故で亡くなった方の遺族にとって必要でしょうか。せいぜい数日感の世間話のネタになるくらいですね。

ニュースにはもちろん重要な情報もありますが、多くは娯楽的な要素を持って配信されている場合が多いですね。喜怒哀楽、なんらかの感情を催すドラマが「ニュース」という名の下に、ひたすらに配信されてきます。

人が亡くなったニュースには、悲しいBGMがついて、さも悲しそうにニュースキャスターがニュースを読み上げます。数分後に話題のドラマが始まれば、人々はそのニュースを忘れます。

これほどくだらないことがあるでしょうか。

大事なのは、ニュースを見ることで遺族や被害者を「侮辱、辱める」のをやめて、自分は自分の人生を生きて行くことです。

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