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人生に、本当に望まないことをしている時間はない – The Great Beauty 追憶のローマ

 

おはようございます、ライター田中です。

恐ろしく完成度が高くて衝撃的な映画を見終わったときには、何か自分が現実と隔離されてしまって、日々の生活や自分の周囲の人が一時的にひどく遠く感じるものです。

久しぶりにそんな映画を見ました。

特別な映画ファンではない私が、素人なりに映画のレビューをしていこうと思います。

The Great Beauty 追憶のローマ

この映画は第86回アカデミー賞 最優秀外国語映画賞を受賞した大物の映画なのですが、かなり難しいうえにストーリーに大きな展開はなく、むしろ平坦に進んでいくようなもの。根っからの映画ファンを中心として評価された名映画のようですね。

とはいえファッションについて語っている私が今更この映画を見たというのは恥ずべきことなんですね。

なぜかって?、それについては少し後で書くことにしましょう。

この映画は、過去に一冊だけ本を書いてそれが大成功をおさめたにも関わらず、それっきり筆を折ってしまった作家が主人公。その作家が忘れられずにいた初恋の相手の訃報を聞いて、作家活動を再開しようと決める、とまあ簡単にストーリーを紹介するならこんな感じです。

とはいえ映画全体はそれほど明瞭で輪郭のはっきりとした進行をするわけではなく、予めストーリーを把握せずに映画を見れば多少混乱するほどぼんやりとしています。

ストーリーは主人公の周りで起きたエピソードを淡々と描写していくだけ、といった具合です。

グレートビューティーのテーマとは?

 

それにも関わらず、見終わった後の感覚は驚くべきほど重い。まるでこの映画のテーマがぼんやりとしたまま、しかし恐ろしい重さで身体の中に入りこんで、決して消えずにとどまっているような感じです。

では、その映画のテーマとは?

残念ながらはっきりとは分かりませんでした。この映画はトリックに満ちあふれており、何度も鑑賞して初めてこの映画のテーマをはっきりとディファインすることが出来るのでは?と感じました。

とはいえこの映画の中心に「虚無感」と「死」があるのは確かでしょう。

かつて大淫婦バビロンに例えられたローマそのものにもシンクロする、パーティ三昧の退廃的な毎日。しかも誰もが自分が空虚で退屈している哀れな人間であることに内心では気づいている。

そして熾烈に皮肉られる形ばかりの現代アート、宗教の本質から離れた教会の聖職者。

この虚無感にさらなるアクセントを加える「死」という存在。そしてそれらと強烈なコントラストで描かれる、初恋の女性との記憶、そして104歳にもなる聖女の姿。

グレートビューティー(偉大な美)を探し続けているという主人公の日々は、初恋の女性の訃報と104歳の聖女との出会いで、どうもわずかながら色合いが変化していく。

個人的には、この聖女の生き方と初恋の女性との記憶に共通する「人間的な美しさ」こそがグレートビューティーなのではないか、と感じました。

見る人によっても受け取り方は異なるでしょうから、これは一度、いや二度見ていただくのが一番です。

一瞬たりとも目を離せない映像美、驚くほど鮮烈な音楽

 

しかしこんなに重いテーマで、しかもはっきりとしたストーリーもないにも関わらず、驚くことに映画を見ている間の2時間以上、一瞬も目を離すことができませんでした。

その理由が、映画と芸術の狭間にあるような極上の映像美です。最初の数分からして、「この映画はただものじゃない」と感じさせるものがあったのを覚えています。

ローマ自体の美しさはもちろんのこと、様々な部分に造形美を感じさせる構図、そして何より光、陰影の使い方ですね。レンブラントを思わせるコントラストに息をのむ瞬間が何度もありました。

そしてその映像をより強烈なものとするのが、音楽。

ローマのマイナーな作曲家が音楽を担当していますが、この音楽のハーモニー、そしてダイナミクスが映像と美しくマッチしている。

一見すると平坦な日々の中に秘められた激しい感情を表すかのように、映像に新たなニュアンスを与える音楽。

音楽が好きな人は、音楽が映像と合わさることで生まれる新たな効果を体験するために、この映画を見る価値があるくらいですね。

グレートビューティーとファッション “チェザレ・アットリーニ”

 

先ほどファッションについて書いている私が今更この映画を見たのは恥ずべきこと、と言いました。

というのもこの映画は主役の衣装、一部のその他の役者の衣装をかの有名なナポリの最高級既製服ブランド、チェザレ・アットリーニが担当しているのですね。

追憶のローマ、という映画であるのになぜローマのブリオーニでなくてナポリのアットリーニなんだ?と思っておりましたが、なるほど監督はナポリの方ですし、何より映画の中の主人公ジェップの着こなしを見たら納得しました。

美しい色彩でさりげなく着こなされる極上のアイテムの数々。同じ着こなしは二度と登場せず、ときには一日の途中で衣装替えをしたりもします。ジェップがこの最高級の服を毎日、当たり前のようにしかもセンスよく着こなしているのがこの映画では注目すべき点でしょう。

65歳の主人公だからこそ似合う色合いと、大胆な着こなしの数々。

アットリーニのスカーフのように柔らかい仕立てが、当たり前の普段着としてそれを着こなすジェップの様々な動作へと実に見事に呼応している。それはもはや造形美です。しかしやや構築的な肩だけは、ジェップに熟れた軽快さだけでなく、何か大きなテーマがあることをそれとなく表現しています。

個人的にはシンプルなコーディネートと大胆な色使いで、憧れてしまうような着こなしばかりでした。まだまだ年齢が足りませんね。

『グレートビューティー 追憶のローマ』を見て

それにしても、この映画を見終わったときには途方も無い気持ちになったものです。

まったく何をしようとしても手につかず、まるきり全部を投げ出してしまいたくなるほどですね。

ですがその後もう少しすると、こんな感覚が生まれるわけです。

グレートビューティーを見つけよう、と。無作為に日々の享楽の中に過ごし、それに虚無感を覚えたジェップが65歳になって人生の転機を迎えたのであれば、自分はもっと早くにそのきっかけを見つければ良い。

そんな意味では、この映画をこの歳で見られたことはラッキーなのではないかと思います。

「人生には、本当に望まないことをしている時間はない」主人公はこんなことをふと呟きます。

この映画の中では重大な意味を持たない一言は、映画に前向きな意味を見いだそうとする人にとっては、ぜひとも引用したくなる一言なのです。

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