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ルイ16世様式の家具に隠された物語 〜ナポリからフランス革命へ

フランス革命によって処刑された、狩りと錠前作りばかりに打ち込んだ間抜けな王様……ルイ16世。

しかしその時代に生まれた「ルイ16世様式」の家具は今なおその美しさを讃えられ、アンティーク愛好家のみならず多くの人々に愛用されています。

プロフェソーレ・ランバルディ静岡の家具も、その多くがルイ16世様式で占められています。

なぜこの不評極まる王の時代に、これほど美しい家具が生まれたのか?

今回は服の話はひとまず置いておいて、ルイ16世様式の家具に隠された物語について、考えてみましょう。

その起源は、ナポリにあった

服の話は置いておいて、なんて言いましたが、実はルイ16世様式の家具と普段私たちが取り扱っている仕立て服には、深い関わりがあります。

それはその起源が、ナポリにあることです。

フランス、パリの宮廷で生まれたルイ16世様式と、遠く離れた南イタリアの都市ナポリにどんな関係があるのか?

ルイ16世様式は、実は新古典主義と呼ばれる様式の一つです。

新古典主義、すなわち新しく古典の素晴らしさを見直す主義ですが、彼らヨーロッパ人にとっての古典、心のふるさとは「古代ギリシャ・ローマ」です。

ルネサンス以降、彼らにとって古代ギリシャとローマはキリスト教以前の特に「人間が人間らしかった」憧れの時代であり、1000年も1500年も時代を先取りした哲学や芸術が発展した脅威の時代であり、建築が唯一といってもよい美しさを実現していた時代だったのです。

そして1748年にナポリ近郊のポンペイが発見され、火山灰の下に埋もれた古代ローマの生活がありありと感じられる遺跡が次々に発掘されると、ヨーロッパの貴族たちはその発見に熱狂したのです。

すでにそれ以前からナポリ楽派と呼ばれる音楽家たちの活躍で注目を浴びていたナポリは、詩人ゲーテの賛辞や英国大使ウィリアム・ハミルトン卿によって、その魅力がヨーロッパ中に伝わることとなりました。

プロフェソーレ・ランバルディ店内のディスプレイ。ハミルトン卿。

18世紀後半、ナポリはヨーロッパを代表する都市となったのです。

するとヨーロッパの貴族たちは「グランドツアー」の終着点としてナポリを次々に訪れました。

その流れで生まれたのが、新古典主義です。

古代ギリシャ・ローマを規範とし、唯一の美しさを追求すること。

それまで中心であったバロック(歪んだ真珠を意味する)様式やロココ様式の曲線や過度な装飾を廃して、シンプルな直線と古典的なモチーフで作られた建築や家具は、一瞬にしてヨーロッパ中を虜にしたのです。

かの有名なカップ&ソーサーのブランド、ウェッジウッドもまたこの流れで生まれました。

ジョサイア・ウェッジウッドはナポリの英国駐在大使ウィリアム・ハミルトン卿のサロンを訪れ、ポンペイの美しい発掘品の数々を見たことがきっかけで、あの「ポートランドの壺」を再現しようと決心したと言います。

そしてフランスにはそう、ルイ16世様式が生まれたのです。

ルイ16世様式の特徴

ルイ16世様式は、新古典主義の中に生まれた一つの様式で、いわばフランス版の新古典主義様式と言われています。

例えばイギリスではロバート・アダムをはじめとしたアダム兄弟が力を入れて新古典主義様式を取り入れた家具を作ったため、新古典主義といえばアダム様式と言われることが多いですね。

ルイ16世様式はこれまでフランスで伝統的に用いられてきた家具様式、すなわちルイ14世様式、ルイ15世様式のバロックやロココのスタイルを生かしながら、その曲線と猫足を多用した造形を直線的なものへと、過度な装飾を洗練された古典的モチーフへと転換したものです。

もちろんいきなり全てが直線になったわけではなく、徐々に装飾のデザインが変わったり、シンプルになっていったりしており、その途中にできた家具は「transition period」すなわち「転換期」のものと言われることになります。

ルイ16世様式のもっとも大きな特徴としてはギリシャ・ローマ建築のオーダー(柱)をモチーフとしたフルーテッド・レッグが猫足の代わりに用いられていることが挙げられます。

またこれまでバロックでは人の顔や複雑に発展したアカンサス、ロココでは貝や花のモチーフが多用されたのに対し、ルイ16世様式では連なったリボンや壺、パルメット、シンプルなアカンサス、ローレル、一見ラーメン模様にも見えるグリークキーなどが多用されます。

いずれもポンペイ出土品やそこに多く見られる模様、すなわちギリシャ・ローマ時代をモチーフとしています。

ルイ16世様式に隠された、フランス王の物語

ではどうして不評を買い、国民に処刑された無能の王「ルイ16世」の時代に、このような素晴らしい様式が生まれたのか?

確かにルイ16世は狩りと錠前作りを趣味とするかなり地味(根暗?)な王で、しかるべき病気のため王妃マリー・アントワネットとは何年にも渡って結ばれず、さらに革命期には失策を繰り返して、フランスを王政廃止にまで追い込んでしまいました。

しかし、実はルイ16世は決して無能な王ではなかったのです。

フランス革命の初期のころ、ある事件でテニスコートに集まった第三身分すなわち庶民を代表する議員たちは感極まって叫びました。

「フランス!国民!国王!」

そう、革命が本格化するまでルイ16世は国民から慕われる王だったのです。

ルイ16世はフランスで初めての啓蒙専制君主と言われています。その当時では当たり前であった拷問の廃止を呼びかけたり、農奴制を廃止し、国内で弾圧されていた異宗教・異宗派間と融和しようとしたりもしました。

また地学や科学などの学問にも専門家が驚くような高い見識を示したといいます。

これまで国民を虐げる形で贅沢三昧をしてきたルイ13世からルイ15世。それに対し狩りと錠前作りというつつましい趣味を楽しみながら、常に学問に興味を示したルイ16世。

国民と特権階級の間に挟まれ苦労しながらも、開明的な政策を打ち出していたルイ16世は、国民にとっては新しい時代を感じさせる王だったのです。

そこにフランスの新古典主義様式、ルイ16世様式が生まれるのはある意味必然でした。

古代ギリシャ、ローマを思わせる美しくシンプルなデザイン。果てしない過去、人類がかつてない高みへと近づいた聡明な時代を思わせるモチーフ。

それはまるで、新しい時代の先頭に立ったルイ16世の時代を象徴しているかのようです。

残念ながら彼はフランス革命の渦へと飲まれていきました。

フランス革命は最初、国王が中心となって国民とともに進めていく改革でした。しかしあくまでフランスの王権と法律を守る態勢を崩さず、特権階級からの強い圧力を受けていたルイ16世は、次第に民衆の求める革命を推し進めることができなくなってしまったのです。

そして1793年、まだ38歳のときにルイ16世は処刑されてしまいました。

しかしフランス革命が終わり、それから200年経った今でもルイ16世様式の家具は愛用されています。

絶対的に揺るがない貴族らしい優雅さを持ちながらも、知的で古典的な雰囲気と、洗練された美しさを持った力強いデザインの家具……。

まだ王権が絶対であった時代にあって民衆に寄り沿おうとし、偏見と差別が当たり前であった時代に、少しでも自由と平等を実現しようとしたルイ16世の生涯。

それがこの美しいルイ16世様式に隠された物語なのです。

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